福島県 南相馬市
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おだかの文化財



 1 大悲山の石仏

「だいひさんのせきぶつ」

国指定史跡

 薬師堂石仏(やくしどうせきぶつ)・阿弥陀堂石仏(あみだどうせきぶつ)・観音堂石仏(かんのんどうせきぶつ)

 大分県臼杵、栃木県大谷とあわせて日本三大磨崖仏(まがいぶつ)と呼ばれる、小高を代表する史跡
薬師堂石仏
薬師堂石仏
 薬師堂石仏・阿弥陀堂石仏・観音堂石仏からなる泉沢の石仏群は「大悲山の石仏」と呼ばれ親しまれています。
 最も残りの良い薬師堂石仏は間口約15mの岩窟に六体の仏像が立体的に、線彫りで二体表現されています。高さは約2〜3mを計り、朱色・黄色の彩色が一部残っていて、眼の前に立つと包み込まれるような感覚を覚えます。わずかに面影を残す阿弥陀堂石仏は薬師堂石仏の左側にあります。
大悲山 6

 観音堂石仏は薬師堂石仏より北東のやや奥まった所にある大きな千手観音です。多くの部分が崩れていますが、高さは9mほどのもので、石仏としては全国でも最大級に位置づけられます。これらの石仏が作られた時期や製作者ははっきりしませんが、その表現方法などから平安時代の前半と推定されます。これほど古くて大きく、また美術的な価値のある石仏群は他に類を見ないことから国指定の史跡に指定されています。観音堂石仏
観音堂石仏

薬師堂石仏 2大悲山 1大悲山 2大悲山 3
大悲山 12大悲山 4大悲山 5



 2 浦尻貝塚

「うらじりかいづか」   

国指定史跡

 浦尻貝塚は、約5700〜3000年前(縄文時代の前〜晩期)の約7ヘクタールにも及ぶ大きなムラでありました。浦尻貝塚の特徴として、『貝塚』であることがあげられます。
 貝塚とは、「貝がら」などの「食べかす」を捨てたものが、山のように積み重なったものです。貝塚は、普通の遺跡では、腐ってしまう魚や獣の骨が、何千年たってもそのまま出てくることから、遺跡の中でも特に重要なものとされています。
 浦尻貝塚の『貝塚』は、厚さ1.8mを超えるなど、とても大きいものが見つかっています。また、浦尻貝塚では、各年代別の貝塚があるので、縄文時代の食べ物の取り方や海の移り変わりなども知ることができます。これらのことから、浦尻貝塚は、縄文時代の福島県を代表する『大規模貝塚がある中心的なムラ』と言われています。
浦尻貝塚 貝層
アサリを中心とした貝層
浦尻貝塚 イノシシ
イノシシ下顎骨、鹿角出土状況
浦尻貝塚 土器
土器出土状況




 3 大名婚礼調度等

「だいみょうこんれいちょうどとう」   

県指定重要文化財〔工芸〕

 相馬家霊堂には「大名婚礼調度等」と称される、藩主の婚礼の時使われる食事用の漆器などが納められています。これらは21代昌胤以来の藩主の奥方が亡くなる度に奉納されたもので、江戸時代中頃から後半にかけて作られました。
 72点のいずれもが優品であるとともに、大名の婚礼調度がこのようにまとまって保管されていることは大変珍しいことです。
大名婚礼調度等
大名婚礼調度等 2



 4 大悲山文書

「だいひさもんじょ」

県指定重要文化財〔書跡〕

 奥州相馬氏の一族大悲山氏に関係する鎌倉・南北朝時代の古文書です。大悲山氏は現在の泉沢(昔は大悲山)を本拠地としていたため、のちに大悲山氏と名のるようになりました。
 この古文書は、中世における奥州相馬氏に関わる数少ない資料です。



 5 相馬野馬追額

「そうまのまおいがく」

県指定重要有形民俗文化財

 行列図・野馬追図・野馬懸図の三面からなります。江戸時代中頃、18世紀頃に作られたと推定され、江戸時代の相馬野馬追の様子を知ることができます。
相馬野馬追額 コピー



 6 蛯沢稲荷神社奉納絵馬地引大漁図及び和船模型

「えびさわいなりじんじゃほうのうえまじびきたいりょうずわせんもけい」

県指定重要有形民俗文化財

 蛯沢稲荷神社は、古くは代々の藩主から大事にされており、今でも漁民信仰を集める神社として知られています。明治7年に奉納されたこの大漁図は、地引網漁の様子や魚の取引の様子など浦尻の浜と思われる漁村が細やかに描かれています。
 また、他に和船の模型が二隻納められています。一隻は江戸時代に作られたもので、機械船が登場する前の大型荷船の模型、もう一つは明治時代のもので、手こぎの鰹船の模型です。
 今では知ることの難しい昔の船造りの技術や、船の構造を知ることができる貴重な資料といえるでしょう。
和船模型
蛯沢稲荷神社奉納絵馬地引大漁図



 7 小高城跡

「おだかじょうあと」

県指定史跡

 小高城は鎌倉時代のおわりごろから江戸時代のはじめにかけて、約280年間「奥州相馬氏」の本拠地でありました。その姿などから別名「紅梅山浮舟城」と呼ばれていました。
 南北朝の動乱から伊達氏との抗争に至るまで、まさに戦乱の世を生き抜いた城といえるでしょう。

小高城跡



 8 大悲山の大杉


だいひざんのおおすぎ」

県指定天然記念物

 大悲山の薬師堂石仏前にあり、目通り8・4m、高さ約45mを計る県内有数の大木です。樹齢は千年に及ぶものと推定され、薬師堂石仏が作られたころに育ち始めた木であると考えられます。

大悲山の大杉




 9 裏刳蓋付舟形刳抜石棺

「うらぐりふたつきふながたくりぬきせっかん」

市指定有形文化財)

 浦尻字南台で工事中に発見されました。石をくりぬき、舟の様な形をした棺で、古墳の主体部にあったものです。現在は大悲山薬師堂石仏前に保管されています。



 10 深鉢「縄文前期関山式併行」

「ふかばち じょうもんぜんきせきやましきへいこう」

市指定有形文化財

 上浦の宮田貝塚から出土したもので、約五千七、八百年前に作られた縄文土器です。様々に撚った縄を使い、それらを複雑に組み合わせた文様が施されています。数ある縄文土器の中でも、完成された美しさを備えています。



 11 薮内の十一面観音

「やぶうちのじゅういちめんかんのん」

市指定有形文化財)

 上浦字薮内の観音堂の中にあります。技法などから鎌倉時代に作られたものと推定され、小高の中でも古い仏像のひとつです。江戸時代に大きな修理がなされてはいますが、正面の部分は大きく変わっておらず、頬の表現などに当初の細やかな表現が認められます。
薮内の十一面観音



 12 中村」の文珠菩薩座像

「なかむらさくのもんじゅぼさつざぞう」

市指定有形文化財

 上浦字中村」の文殊堂内にあります。像高は約21cmと大変小さいもので、江戸時代中頃の製作と考えられています。ケヤキの一木造で、両肩に髪を垂らした天女姿の表現が珍しく、衣文の表現などに当地方の特徴が良く捉えられる仏像です。
中村」の文珠菩薩座像



 13 中村」の虚空蔵菩薩座像

「なかむらさくのこくうぞうぼさつざぞう」

市指定有形文化財

 文殊菩薩と同じ、中村」の文殊堂内にあります。像高約22cmと大変小さいものですが、作風などから室町時代、15世紀後半の作と考えられています。この地方の特色である下半身がどっしりしていることが認められます。
中村」の虚空蔵菩薩座像



 14 下岩崎の聖観音菩薩立像

「しもいわさきのしょうかんのんぼさつりゅうぞう

市指定有形文化財

 福岡下岩崎にあります。像高150cmを計り、カツラの木、一木で作られたものです。制作年代は鎌倉時代までさかのぼるものと推定されます。
 鼻筋の通った面長な顔は厳しく、衣文の表現などに仏師の熟練した技術が認められる美しい仏像です。
下岩崎の聖観音菩薩立像



 15 八幡大菩薩旗

「はちまんだいぼさつき」

市指定有形文化財

 鎌倉時代のはじめ、奥州相馬氏の祖である相馬師常は平泉の奥州藤原氏を討ち、その功績により、源頼朝から八幡大菩薩の旗を授けられました。現物は焼失してしまいましたが、江戸時代の頃の複製が小高に残されていました。
 相馬地方に伝わる数多くの旗の中でも、特に由来のある旗と言えるでしょう。
八幡大菩薩旗



 16 能装束


「のうしょうぞく」

市指定有形文化財

 能は江戸時代、武家の公式行事には欠かせない催し物で、相馬氏も盛んに行なっていました。この能装束はその当時の隆盛ぶりを今に伝えるように、まばゆいばかりの豪華さを備えています。
能装束



 17 伝相馬昌胤着用白羅紗地陣羽織

「でんそうままさたねちゃくようしろらしゃぢじんばおり」

市指定有形文化財

 江戸時代中頃の21代昌胤が着ていたと伝えられる陣羽織です。背中には相馬家の家紋である「九曜紋」が施され、赤・緑・赤と施される三段筋が目を引く、形と配色が良く調和した美しい陣羽織です。
伝相馬昌胤着用白羅紗地陣羽織



 18 麻地錆浅葱色大紋

「あさぢさびあさぎいろだいもん」

市指定有形文化財

 「大紋」は武家の中でも身分により着ることが規制されていた、長袴を用いた着物です。この大紋は相馬家の家紋が施されており、まさに藩主が着た礼服と言うことができます。大紋はその性格上、数も少なく現在残っているものはほとんどありません。
麻地錆浅葱色大紋 上



 19 女房火事装束

「にょうぼうかじしょうぞく」

市指定有形文化財

 烏帽子姿の頭巾・羽織・胸当て・袴からなる火事場での服装であり、その紋章から24代恕胤の奥方のものと考えられます。火の粉が入らないようになどの火事場のことをよく考えた細工が施されています。
 また、その装飾には現在では復元できないほどの繊細な技術が使われています。このような火事装束は全国的にも大変珍しく、大名文化を象徴する貴重な資料と言えるでしょう。
女房火事装束女房火事装束 試し



 20 野馬狩の告文

「のまがりのこくぶん」

市指定有形文化財

 「野馬原の馬をすべて捕えよ」という天皇の命令を神の前に告げたもので、相馬野馬追の明治時代初めの中断を証明する古文書です。
野馬狩の告文



 21 相馬家系図

「そうまかけいず」

市指定有形文化財

 相馬家系図は県指定重要文化財である歓喜寺(相馬市)のものが知られていますが、小高のものは歓喜寺のものとほぼ同様であり、年代も近いものと考えられます。
相馬家系図



 22 小高城跡採集金鯱片

「おだかじょうあとさいしゅうきんこへん」

市指定有形文化財

 小高城跡で見つかったもので、金箔や朱で塗られた鯱の破片です。
 豊臣配下の大名の城跡から出土することが多いといわれ、相馬氏の歴史的背景を窺がわせる貴重な資料と言えます。
小高城跡採集金鯱片



 23 生駒家文書

いこまけもんじょ」

市指定有形文化財

 生駒家はもともと豊臣秀吉に仕えており、後に相馬中村藩で家老職などの要職を務めました。
 この古文書には、県内では大変珍しい豊臣秀吉直筆の書状、秀次や秀吉五奉行から生駒家へ送られた書状の他、相馬中村藩主からの年賀状など相馬の歴史を知る上でも貴重な文書が含まれています。
生駒家文書



 24 相馬家墓地並びに霊堂

「そうまけぼちならびにれいどう」

市指定史跡

 同慶寺は相馬家代々の菩提寺で、江戸時代を通じて歴代の藩主が葬られています。 整然と並ぶ五輪塔などを中心とした相馬家墓地と、相馬家一族の位牌を納めた霊堂が市指定文化財に指定されています。
相馬家墓地並びに霊堂



 25 浪岩の横穴古墳A群11号

「なみいわのおうけつこふん」

市指定史跡

 泉沢字浪岩にある横穴墓群の中の、A群11号と名付けられたものは一部赤・白の彩色が残っています。国指定史跡の清戸迫横穴(双葉町)や羽山横穴(原町区)と同様の装飾横穴墓で、本来はそれらと肩をならべる装飾があったものと考えられます。他にも浪岩の横穴墓の中には人物や鶴などが刻まれたものが確認されています。



 26 村上城跡

「むらかみじょうあと」

市指定史跡

 16代相馬義胤が、眼下に太平洋を望むこの地を戦略上重要な場所として土塁を築き、まさに館を建てようとした前日、火災により山積みした木材が灰になってしまいました。義胤はこれを不吉として、牛越城(原町区)に城を築くこととなりました。いまも土塁や濠が残っており、当時の様子を伺い知ることができます。



 27 菖蒲沢の野馬土手 ・ 高木戸の野馬土手

「しょうぶざわののまどて・たかきどののまどて」

市指定史跡

 江戸時代に野馬の保護と増殖、また農作物の保護の目的で石垣や土塁が築かれました。主に現在の原町区の広い範囲で確認されていますが、小高の羽倉にも長さ延べ数百mにわたって残されています。
野馬土手



 28 日向横穴群1号墓

「ひむきおうけつぐんいちごうぼ」

市指定史跡

 塚原字日向にあり、当地方で横穴墓が作られ始めた頃の6世紀代の古い段階のものと考えられます。



 29 岩屋堂石仏並びに横穴墓群

「いわやどうせきぶつならびにおうけつぼぐん」

市指定史跡

 吉名字漆原にある十数基の横穴墓ですが、後の時代になってこれを改造し、大悲山の石仏のように岩を削って3体の仏を作り出しています。横穴墓は古墳時代のもの、石仏は平安時代以降のものと考えられています。



 30 行津の大杉

「なめづのおおすぎ」

市指定天然記念物

 国道6号を浪江方面に向かうと、右手に一際目立って見える大杉で、目通り7m、高さ約30mを計ります。行津の星神社の神木として、今なお大事にされ続けています。



 31 同慶寺のいちょう

「どうけいじのいちょう」

市指定天然記念物

 この地方では珍しい、いちょうの巨木です。目通りは5・3m、高さは約35mを計ります。樹齢は300年〜4000年と推定されており、同慶寺とともに育まれた木であると言えます。



 32 飯崎のしだれ桜

「はんざきのしだれさくら」

市指定天然記念物

 いわゆるベニシダレ(エドヒガンの枝垂れ)の古木です。飯崎の北久保共同墓地内にあります。目通り3・6m、高さ約12mを計り、枝振りは約300平方mにわたって傘状の広がりをみせる大木です。元気のよさとその姿が特にすぐれており、春にはお墓をつつみこむように美しい花を咲かせます。
飯崎のしだれ桜



 33 上浦のキャラ

「かみうらのきゃら」

市指定天然記念物

 キャラとは高山に分布するイチイ科のイチイ属の変種で、庭園に植えられる低木です。高さは約2mしかありませんが、枝は15mにも及び傘状の広がりを見せます。樹齢300年以上と推定されています。



 34 大富のヒイラギ

「おおとみのひいらぎ」

市指定天然記念物

 目通り約2.7m、高さ約9mを計り、樹齢は100年以上のものと推定されます。ヒイラギの自生はいわき地方が北限とされ、当地方では生育の厳しい環境ですが、このヒイラギは枝張り、樹勢ともに優れた大変珍しい老木です。
大富のヒイラギ



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