横川ダム
ダム諸元
| 所在地 | 南相馬市原町区馬場字滝地内 |
| 建設年 | 昭和59年3月完成 |
| ダム形式 | 重力式コンクリートダム |
| ダムの目的 | 農業・工業用水供給 |
| 受益面積 | 988.68ha |
ダムの規模
| 堤高 | 78.5メートル |
| 堤長 | 200メートル |
| 提体積 | 273,400立方メートル |
| 最大取水量 | 農業2.028立方メートル/秒 工業34,000立方メートル/日 |
| 貯水量 | 1,365万立方メートル |
| 常時満水位 | 150.5メートル |
建設の経緯
太田川水系において、昭和35年頃より市内南部地区の約2,500haの地域で地盤沈下現象が見られるようになり、その累計沈下量は2メートルを超えるような急速かつ激しいもので、当時の年間揚水量はおよ1000万立方メートルと推定され、これが昭和49年になると2倍以上の2,200万立方メートルに増加し、この原因は水稲耕作面積の拡大と工場の事業拡大によるものと推測された。
この地盤沈下の原因は、昭和54年東北農政局より出された「地盤沈下に関する報告書」によると地下水(農業、工業用水)の過剰な採取が原因であることが判明したが、恒久的な地盤沈下対策は、地下水の採取を規制するしかないため、これに替わる水源を開発する必要に迫られた。
県では、この対策として昭和51年度より県営地盤沈下対策事業 により、貯水量1,365万立方メートルの農業、工業用水を供給する「横川ダム」の建設に着手した。
当市においても昭和49年12月に公害対策条例の一部を改正し地下水の過剰な採取の対策として、市街地中心に約93平方キロメートルの地域を地下水採取規制区域に指定した。県も続いて工業用水法の指定地域内で揚水設備を設置する場合には許可を受けることが必要になった。
昭和59年待望の横川ダムが完成し、工業用水は県営原町工業用水道により、34,000立方メートル/日の工業用水が市内の地下水利用企業及び原町火力発電所に、農業用は最大2.028立方メートル/秒の水量が市内南部(地盤沈下の激甚区域)に供給された。
この水源転換が実施された直後から、観測用井戸の地下水位が急激に上昇し水源転換の効果が確認され、これ以後地盤沈下現象も急速に鈍化傾向に向かっている。
高の倉ダム
ダム諸元
| 所在地 | 南相馬市原町区高倉字細倉地内 |
| 建設年 | 昭和51年3月完成 |
| ダム形式 | 重力式コンクリートダム |
| ダムの目的 | かんがい |
| 受益面積 | 831.5ha |
ダムの規模
| 堤高 | 52.4メートル |
| 堤長 | 129.4メートル |
| 提体積 | 91,400立方メートル |
| 最大取水量 | 農業用 1.735立方メートル/秒 |
| 貯水量 | 600万立方メートル |
| 常時満水位 | 156.2メートル |
建設の経緯
当地区は、原町区の中心部を東流して太平洋に注ぐ、新田川沿岸に展開する水田地帯であり、約970戸の農家が経営する約1,200haの水田は、用水源を新田川及び、その支流水無川に依存しているが、その名の如く河床を伏流するため取水不能になり、毎年深刻な水不足に悩まされていた。
昭和33年、36年に発生した大干ばつにより、かんがい用ダム建設の要望が大きくなり、福島県は昭和44年に県営かんがい排水事業の採択を受け、実施設計並びに補償交渉を経て、昭和47年ダム本体工事に着手し、昭和50年9月貯水開始、昭和51年3月ダム工事の完成を見た。昭和56年3月2条の幹線水路が完成し全事業が終了した。