その86 小正月行事 「墨塗り(すみぬり)」(令和4年1月4日)

更新日:2022年01月04日

馬、甲冑姿の男の子、トラなどが並ぶ帯状の画像

正月は年中行事のなかでも盆と並ぶ大事な行事です。1月1日の(おお)(しょう)(がつ)(とし)(がみ)を迎える大事な時期です。1月15日を中心とする()(しょう)(がつ)(もち)の正月とも呼び、15日は太陰暦で満月にあたります。小正月には、「小正月の訪問者」「水祝い(水祝儀)」「火祭り」「墨塗り」「鳥獣害を防ぐ呪術」「農作物の()(しゅく)」「卜占(ぼくせん)」などの行事が集中していました。「墨塗り」は小正月や婚礼などに、(すみ)や鍋墨を手や(だい)(こん)(ばん)に付けて婿(むこ)や新夫婦などの顔に塗り付ける行事です。

しかし、現代では農村部では小正月行事が一部残っているところもありますが、都市部ではほとんど見られなくなっています。今回は江戸時代から現代の相馬地方を中心に、墨塗りについて紹介します。

中村藩領内の庶民の墨塗り

不忍(しのばず)叢書(そうしょ)』第10冊「相馬領習俗聞書」の項には、江戸時代の中村藩領内の墨塗りが紹介されています。

  • 意訳「墨塗り これも同日(小正月)の事 これも花婿の家ヘ行く事 大根に鍋墨を付け 五六人が云い合わせて(大根判を)持って行き 嫁をはじめ家門の者の顔ヘその墨を塗る 婿の方にも近所の心やすい人々がこれをする いずれも若い男子がするしわざである」

江戸時代末刊行の『(おう)(そう)()』宇多郷新田村の項には、1月15日に現在の相馬市新田で行われていた、「川入り」と「墨祝い」が紹介されています。

・意訳「15日、川入りをする。新郎を裸にして川の中に入れて水を掛ける。また、墨祝がある。これは墨を新郎新婦の顔に塗る。その儀式は古い格式がある。結婚2年目にあたる婿の先輩が伝授してこれを行う。多くの村にこの行事があるといっても大同小異ある。この村は旧例によってその儀式はたいへん(おごそ)かである。しかし、天保年間の凶作の年以来、(すた)れて(わず)かに形を残しているだけである」

昭和16年(1941)刊行の『相馬藩政史』は、著者今野美寿が江戸時代の中村藩領内の藩政資料を集めて翻刻したものです。同書下巻、法度(はっと)(禁制)の項には、元禄12年(1699)8月に出された小正月行事の禁止が紹介されています。

  • 意訳「一つ 正月14日のかせどりは役に立たない、一つ 正月の水祝儀・墨祝儀は役に立たない、一つ かるたは一切停止すること・・・」

同書年中行事の項は安政5年(1858)生まれの著者の記憶に基づいて書かれています。そのなかで正月行事に墨祝儀が紹介されています。

  • 意訳「14日の諸儀式、(中略)この日は墨祝儀といって前年正月14日から当年14日以前に婿嫁を迎た家に若者が大根に鍋釜のへすび(1)を付けたものを持参し、婿嫁をはじめ家内一同の顔に塗りつけて祝儀とする悪習がある」

(1) へすび=へすみ(かまど墨)

江戸の旗本相馬家の墨塗り

江戸時代の随筆『遊歴(ゆうれき)雑記(ざっき)』(十方庵大浄敬順著)には、四谷大木戸片町(現、新宿区四谷)の相馬(そうま)左近(さこん)屋敷の「相馬家翻刻嘉例(かれい)の墨塗り」が紹介されています。相馬氏は江戸時代に旗本となった下総相馬氏と、奥州行方郡(現在の南相馬市)に下向した相馬重胤の後裔で江戸時代に中村藩主となった奥州相馬氏があります。相馬左近とは下総相馬氏の後裔、旗本相馬繋胤(? - 文政2年(1819)、通称小源太、左近のことでした。

相馬左近家は平将門の正流であるといい、毎年正月15日にめでたい先例として通りがかりの者を呼び入れて無理に酒を飲ませ、もう飲めないというと額に大根判で墨を付けて門外へ突き出したり、屋敷内の笑い声を聞いて何事かと覗いた者を捕らえて額に墨を塗る行事を紹介しています。これは全国的に見られた小正月行事「墨塗り」の一種と考えられます。

浮世絵「墨戦之図(ぼくせんのず)」

これは江戸時代末期の代表的な浮世絵師歌川国芳の作品です。国芳の作品は、遊び心や斬新さで人気でした。この作品は、大勢の人が二手に分かれて墨を掛け合い、擦りつけ合う様子が描かれています。

登場人物は公家(くげ)のほか僧や稚児(ちご)もいます。この画の解釈として、幕府の政策や役人への風刺、揶揄(やゆ)の意味が込められているという見方があります。つまり、①武士が弱体化して公家や僧侶が意のままに事を起こしていることへの批判 ②質素倹約をはじめ生活全般を厳しく統制する天保の改革を断行した老中水野忠邦らに対する皮肉です。

一方、小正月の年中行事としてみると「相馬家嘉例の墨塗り」を連想させ、小正月の風習をオーバーに面白おかしく描いているようでもあります。

浮世絵「墨戦之図」

浮世絵「墨戦之図」 一勇斎(歌川)国芳 3枚続 天保14年(1843) 南相馬市博物館蔵

近現代の浜通りの民俗例

南相馬市鹿島区の鹿島(かしま)御子(みこ)神社(じんじゃ)の「火伏(ひぶせ)の神事」では、昭和40年頃まで、参加者や世話人が神社の神紋「三つ石畳」を彫った大根判で墨塗りする風習がありました。

いわき市豊間では、小正月に若者組の役員が交代する際、「墨祝い」といって大根に墨を付けて若者頭や新役員の顔に墨塗りをしました。墨を塗られることを名誉に感じたそうです。

現代では、赤ちゃんの宮参りに「あやつこ」といって、額に鍋墨で「×」「大」「犬」などの印をつける風習があります。昔は赤ちゃんの初外出に行われ、魔除けとか丈夫に育つといわれてきました。

「墨塗り」は悪習として禁止されたこともあり、ほとんど消滅しましたが、民衆の間では魔除(まよ)け・秩序や人格の更新・再生といった意味付けがあって、神事として続けられてきたようです。

(二本松文雄)

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