その56 「甲冑競馬」誕生秘話(令和元年7月1日)

更新日:2019年07月01日

南相馬市博物館のキャラクターで7月の行事である七夕を表した帯
雲雀ヶ原の馬場で4頭の馬と騎手が甲冑競馬をしていてたくさんの見物客いる様子

野馬追の人気競技「甲冑競馬」

 

 

 

 

 

 

 

いよいよ7月末は相馬地方全体が盛り上がる相馬野馬追の本番です。さて、3日間にわたって行われる野馬追行事の中でも、もっともお客さんに人気があるのは、やはり雲雀ヶ原(ひばりがはら)で行われる2日目の行事でしょうか。

2日目といえば、騎馬武者たちが神旗を奪い合う「神旗争奪戦(しんきそうだつせん)」とともに人気の「甲冑競馬(かっちゅうけいば)」があります。

具足を身にまとい、背中に旗を指した騎馬武者が、1周1000メートルのトラックを疾走する競技で、旗が風ではためく音、駆け抜ける馬たちの蹄(ひづめ)の重低音、巻き上がる砂塵など、神旗争奪戦ともちがう迫力・魅力があります。

この甲冑競馬、ずっと昔から行われている競技ではありません。ではいつから・なぜ始まったのでしょう。そこには時代の変化が大きく関わっていました。

時代とともに変わってきた野馬追

明治時代の神旗争奪戦を描いた図で野馬追原で馬に乗り旗を追っている様子

明治時代の神旗争奪戦

(『磐城国相馬三社祭礼馳馬之図』一部拡大)

神旗争奪戦は明治時代に誕生した競技。では甲冑競馬は…?

野馬追は数百年にわたる長い歴史のなかで、時代の変化にともなって行事内容も変わってきました。

特に大きく変わったのが今から約150年前の明治維新のとき。中村藩主相馬家が主催する武家行事だった野馬追は、明治5年(1873)から神社主催の神事に生まれ変わりました。現在人気の神旗争奪戦も、この明治時代に誕生した行事です(明治16年[1883]には行われていた記録があります)。

では甲冑競馬はどうかというと…明治時代にはまだ行われていません。甲冑競馬が誕生するのは明治維新からさらに約80年後、日本が第二次世界大戦で敗戦し、連合国軍の占領下にあった昭和20年代のことです。

平和な馬事スポーツの祭典・野馬追-新競技「甲冑競馬」誕生-

昭和20年(1945)日本が第二次世界大戦で敗戦、連合国軍の占領体制となり、平和主義の日本へと生まれ変わっていく中で、野馬追は戦前と同じように開催するのが難しい状況でした。その原因の一つに、戦前の野馬追が「軍国主義の象徴」などともてはやされていたことがあります。勇壮な野馬追は戦前日本の軍国的な風潮にぴったりで、戦時中は「米英撃滅の武者振ひ(『福島民報』昭和19年7月13日付)」と新聞で報道されるなど、戦意高揚のため喧伝されたほどでした。

そこで戦後の野馬追は、軍国主義を彷彿させるような行事ではなく、民主的で平和な馬事スポーツの祭典をめざし、昭和22年(1947)新体制下で公式に再スタートしました。その流れの中で“野馬追らしい新たな馬事スポーツ”として考え出されたのが、よろい・かぶとを身につけた騎馬武者の競馬「甲冑競馬」だったのです。翌23年(1948)の新聞に「今年の新趣向であるカッチュウ姿の競馬(『福島民報』7月13日付)」と記録があることから、終戦から3年後、昭和23年に初めて行われたことがわかります。

また、甲冑競馬以外で考え出された馬事スポーツとして、騎馬武者たちが800メートル先に立てた旗をうばい合う競技もあったんだとか。これは現在行われていませんが、それはそれで見てみたかったですね。

白黒の絵ハガキで指旗をさした馬たちが甲冑競馬をしている様子が写っている

戦後、新たな馬事スポーツとして始まった「甲冑競馬」(昭和中期)

(甲冑競馬絵はがき:佐藤健一氏蔵)

戦後に変わったこと-これも一つの歴史-

なるべく神事色や軍国調は排除する方針で戦後に復活した野馬追ですが、戦前に比べいろんな変化がありました。まず主催者が、相馬三社(太田神社、小高神社、中村神社)から野馬追祭執行委員会(現在の相馬野馬追執行委員会の前身)に変わりました。また、野馬追の役職名「総大将(そうだいしょう)」「侍大将(さむらいだいしょう)」「軍者(ぐんじゃ)」という呼称が、“軍国調だ”という理由で、それぞれ「総括」「副総括」「総務委員」と改められたりしました(のち元通りになりました)。禁制とされてきた女性騎馬武者の出馬が許可されたのも戦後のことです。

このように、野馬追は長い歴史のなかで時代の流れによってさまざまな変化をしながら、現在に至っています。行事内容が変わってきたとしても、武家文化を受け継ぎ、相馬地方の繁栄・安寧を願う伝統行事としてこれからも正しく継承していくために、こうした歴史の流れや、一つひとつの変化を知ることは、とても大切なのではないかと思います。

(ふ)

博物館のキャラクター郷くんとノマくんを使って七月の行事七夕を表した帯画像

関連ページ

この記事に関するお問い合わせ先

教育委員会 文化財課 博物館

〒975-0051
福島県南相馬市原町区牛来字出口194

電話:0244-23-6421
ファクス:0244-24-6933
お問い合わせメールフォーム

このページに関するアンケート

より良いウェブサイトにするために、このページのご感想をお聞かせください。

このページの内容は分かりやすかったですか



分かりにくかった理由は何ですか(複数回答可)



このページは探しやすかったですか



探しにくかった理由は何ですか(複数回答可)