震災後、東北との縁が繋がり南相馬へ 変わらない「伝える」ことへの想い

東北とのつながりを話す新田さん

震災後、東北との縁が繋がり南相馬へ 変わらない「伝える」ことへの想い

新田 真由子 さん(44)
にった・まゆこ

2019年〜 南相馬市原町区在住

岐阜県中津川市生まれ

(18歳):進学のため愛知県豊田市へ移住→(32歳):東日本大震災後、東京都へ移住→(36歳):福島市へ移住。地域コーディネーターとして福島大学に勤務→(40歳):フリーになり、南相馬市へ移住

地域コーディネーター

--------------------------------

東日本大震災直後、何かに導かれるようにして東北にボランティアとして訪れた新田さん。震災後の現場とそこで暮らす人々に触れ、「伝える」ことを通して東北で働こうと決意したそうです。それから8年。フォトグラファーやライター、PRプロデューサー、地域コーディネーターと、さまざまな顔を持つ新田さんは、図らずも縁が繋がり、現在南相馬市で暮らしています。そんな彼女の核となる想いと、これまでの道のりを聞きました。

東北移住のきっかけは東日本大震災後の出会い

Q1.これまでの仕事と福島に関わることになったきっかけを教えてください。

A.
大学卒業後は派遣社員として企業で働いていたのですが、写真と言葉で伝えることがしたかったので、フォトジャーナリストになろうと2010年に仕事をやめたんです。当時は自然エネルギーや再生可能エネルギーの取材もしていていました。そんな中、2011年に東日本大震災が発生。あの日、私がいた愛知県でもすごく揺れて恐怖を感じたことを覚えています。しかし、それ以上に、テレビで流れる東北の映像を観て、「行かなきゃ」と思ったんです。でも最初はフォトジャーナリストとしてではなく、ボランティアとして行くことを選びました。

震災直後から2~3週間ボランティアに応募し続け、最初に連絡がきたのが宮城県石巻市でした。テントを担いで東北に向かい、石巻専修大学のグラウンドでテント泊をしながらボランティア活動が始まりました。家の中に人がいるかを確認しながら、ライフラインの状況やニーズなどを調査し物資を届け、一軒一軒お話しを聞いて回る活動だったのですが、そこにいた多くは、避難所にいられなくなって戻ってきた高齢者の方でした。

石巻は、たくさんのボランティアが来ていると言われていましたが、決して足りてるわけではなく、でも私一人ができることは限られていて。自分ができることは何だろうと考えた時に「関わり続けること」だと思いました。そこで、ボランティアではなく東北に住もうと決めたんです。

当時、家族も大切な思い出も全部津波で流されてしまったという女性と出会いました。家の周りの瓦礫を片づけてほしいと依頼され、その後も何度か会いに通う中でその女性に少しずつ笑顔が戻り、別れ際2人で写真を撮りました。後日その女性から、「私のアルバムはこの写真から始まります。何もかもなくなりましたが、皆さんのお陰で頑張る力をいただきました」という言葉をもらったことで、私なりのジャーナリズム、人との関わり方や伝え方を考えるようになりました。

もうひとつ、福島に来るきっかけとなる出会いがありました。東京に住んでいた際、ふと目に入った詩集に書かれていた福島の現実にハッとさせられて、すぐに、その詩を書いた方に会いに行ったんです。小高区から避難し、鹿島区の仮設住宅で暮らしている方だったのですが、そこで「おじいちゃんおばあちゃんの話を聞いて書き残したい」と伝えたところ、ある90代のご夫婦を紹介してくれ、2人に会いに通うようになりました。

震災による津波や原発事故が起きた時、もともとあった地域の宝や思い出、想いを残して伝えていく必要性を感じていました。また、話を聞くことを通して、自分の何でもないと思っていた過去に誰かが光を当ててくれることは、話してくれた方やそれを伝えた先でも笑顔の循環が生まれると感じていたからです。

そして、2014年に南相馬市小高区で働こうと思い、仕事を探し始めましたが、原発事故後の避難指示解除準備区域であった当時は、現地で仕事を見つけることはできませんでした。その後、福島大学とのご縁があり、「ふくしま未来学」というプログラムで地域コーディネーターとして勤務することになり、偶然にも南相馬市を担当することになったんです。およそ3年半勤務し、地域の方と学生たちの言葉を残したいという願いも形になりました。しかし、それからは大学の職員としてではなく、自分の言葉で伝えていきたいと思い退職。ただ、フリーになったことで、週に何度も気持ちだけで通うことに様々な限界を感じ、南相馬への移住を考えるようになりました。

学生をコーディネートする新田さん

地域外の仕事も受けながら、ここで暮らす

Q2.マルチに活躍されていますが、現在はどのような仕事をしているのでしょうか?

A.
現在は取材、PRサポート、発信に関する講座を開催したり、県内外の学生を中心に福島県浜通りの地域コーディネートなども仕事として請け負っています。

自分の中でブレずに大事にしていることは「伝える」ことです。それは自分の言葉で、ということだけではありません。南相馬市に訪れた学生には、実際に見て、人の想いを聞いて、自分ごととしてその人なりに感じてもらいたい。5年後10年後でもいいから、学生たちの人生の何かに影響すればいいなと思っています。

南相馬市内では、これまで関わりがあった方のお手伝いをしていますが、その他は県外が多く、主にオンライン上で仕事をしています。

私は南相馬市の仕事をメインにしているのではなく、ただこのまちで暮らしているだけ。ここで何かしたいというよりも、ここに暮らす人たちと関わりながら、何かできたらいいなと思っています。

伝えることを大切にする新田さん
コーディネートした大学生との一枚

Q3. 南相馬市の暮らしについて教えてください。

A.
晴れている日が多いので気持ちが晴れやかになりますよね。自分で調整しながら仕事をしているので、友達が来る日などは仕事を休んで、南相馬市内や周辺地域を案内しています。

南相馬でのご近所付き合いも私にとっては心地いいんです。私の家の向かいに住むおばあちゃんが素敵なティッシュケースを手作りしたと言って2つ持ってきてくれたり。斜め前の家に住む方は、「大きく育った『おばけきゅうり』を味噌汁に入れるとおいしいよ」とお裾分けしてくれたり。この間は、「ゆずいっぱいもらったからあげる!」と、もらったこともありました(笑)。

そんな日常が私は好きですね。

 

--------------------------------

Q4. 今後南相馬でやりたいことはありますか?

A.
南相馬には伝統を守っていたり地域のために粛々と頑張っていたりする方たちがたくさんいます。もっと地域に関わり、周囲の人たちがやりたいことを実現できるように、力になれたらいいですね。そして、地域で頑張る人に光が当たるように私なりの「伝える」ことをしていけたら嬉しいです。

地域について話す新田さん

移住=引越し。大義名分はなくてもいい。

Q5. 南相馬市に移住を考えている人へメッセージをお願いします。

A.
生活インフラや交通の便は整っているし、古い神社仏閣、馬がいる環境もおもしろいです。そして南相馬は、足りないものを探すのではなく、ないものを自分で楽しめるまちだと感じています。友達の女の子は、私が「もっとカフェが欲しいな」と話した時に、「私はお家時間を楽しむようになったよ!」と言っていて、その彼女が入れてくれたコーヒーはすごくおいしかったんです。こんな暮らしを自分で楽しめるまちっていいなと思いました。

移住というと私は少し重いイメージがあって。移住先で暮らし続ける覚悟や「何か起こすぞ」という志みたいなものがあるような。でも、「ちょっと興味があるから住んでみよう」と「引越し」くらいのイメージを持ってもいいのではないかなと思っています。

オンラインを活用して場所を選ばずできる仕事も増えましたし、自分でも仕事を作ることができる時代ですよね。自分がこれからどんな風に生きていきたいか考えたときに、少しでも南相馬に関心があれば、「ちょっと来てみる」くらいの気持ちで訪れてほしいです。

これからについて話す新田さん

南相馬のわたしのお気に入り

大悲山の大杉

大悲山

南相馬市小高区にある大悲山にはすごく歴史があり、震災後も避難先から地域の方が掃除や保全のために通っていたそうです。地域の方々に守られている話を聞いて、とても感動しました。特に福島県の天然記念物にも指定されている大杉は圧巻で見飽きないですし、阿弥陀堂石仏に続く道の木漏れ日がきれいで、南相馬に友達が訪れた際には連れて行く、大好きな場所の一つです。

笑顔の新田さん

東日本大震災をきっかけに、「伝えたい」という想いからたくさんの縁と出来事が繋がっていった新田さん。新田さんを通して知る南相馬のものや人は、メディアから伝わるものとは違い、そのままぬくもりを感じられるような温かさがあります。それは、新田さん自身が全てを自分事として関わり、人や地域を本当に大切に思っているからではないでしょうか。

テキスト:髙橋慶香/写真:鈴木宇宙・鈴木穣蔵

この記事に関するお問い合わせ先

商工観光部 移住定住課


〒975-8686
福島県南相馬市原町区本町二丁目27(北庁舎1階)


直通電話:0244-24-5269
ファクス:0244-23-7420
お問い合わせメールフォーム

更新日:2023年09月04日