【鷺内(さぎうち)遺跡 3000年前のクルミかご】オンラインギャラリートーク③
『多量な塩づくりの土器』
なかなか、「クルミかご」に話がいかなくてすみません・・・
塩づくり専用の土器(製塩土器)を用いた塩づくりも、縄文時代のいつでも、どの地域でも行われていたわけではありません。縄文時代の終わりころに出現し、茨城県の霞ヶ浦沿岸、宮城県の松島湾沿岸、岩手県の三陸海岸の北側などの出土が知られています。このような土器を用いた塩づくりは、きわめて限られた特殊な生業(なりわい)ということもいえるかもしれません。
福島県の浜通り地方でも、これまで浦尻(うらじり)貝塚(南相馬市小高区)、三貫地(さんがんじ)貝塚(新地町)で出土していました。ただ、これだけ多量に出土したのは中才(なかさい)遺跡がはじめてといえます。この製塩土器が多量に使われた場所が確認できたところに中才遺跡の調査の大きな意義があります。
「多量」にといっても、何をもって「多量」というのか?ということころは説明しなければなりません。研究者に納得してもらうためには、しっかりとした証拠をもって示す必要があります。
このために、出土した土器を分類し、ひたすら数を数えました。また、製塩土器はバラバラに細かく壊れて出土するので、通常の発掘調査では全てを取り上げることが難しいです。そこで、土器を含んだ土を捨てずに、ふるいをかけ、ふるいの中に残った土器を回収しました。そうしないと小さな土器片を確実に取り上げられないので、正確な数を確認することができません。このような地道な作業で中才遺跡は塩づくりをした場所だ!ということを主張することができるのです。
この努力をお伝えしたく、製塩土器はひたすら並べる展示を試みました。「多量」というイメージをお伝えできたでしょうか?
- この記事に関するお問い合わせ先
- このページに関するアンケート
-
より良いウェブサイトにするために、このページのご感想をお聞かせください。
更新日:2021年05月29日