小高区の文化財
1 大悲山の石仏
だいひさんのせきぶつ
種別
国指定史跡
指定年月日
昭和5年7月8日
所在地
小高区泉沢字薬師前ほか
所有者
慈徳寺
薬師堂石仏(やくしどうせきぶつ)・阿弥陀堂石仏(あみだどうせきぶつ)・観音堂石仏(かんのんどうせきぶつ)からなる泉沢にある石仏群は「大悲山の石仏」として親しまれており、大分県臼杵・栃木県大谷とあわせて日本三大磨崖仏(まがいぶつ)と呼ばれています。
最も残りの良い薬師堂石仏は間口約15メートルの岩窟に六体の仏像が立体的に、線彫りで二体表現されています。高さ約2~3メートルを測り、朱色・黄色の色彩が一部残っていて、眼の前に立つと包み込まれるような感覚を覚えます。わずかに面影を残す阿弥陀堂石仏は薬師堂石仏に左側にあります。
観音堂石仏は薬師堂石仏より北東のやや奥まった所にある大きな千手観音です。多くの部分が崩れていますが、高さ9メートルほどのもので、石仏としては全国でも最大級に位置づけられます。これらの石仏が作られた時期や製作者ははっきりしませんが、その表現方法などから平安時代前期と推定されています。これほど古くて大きく、また美術的な価値のある石仏群は他に類を見ないことから国指定の史跡に指定されています。
【チラシ】大悲山の石仏 (PDFファイル: 374.1KB)
2 浦尻貝塚
うらじりかいづか
種別
国指定史跡
指定年月日
平成18年1月26日
所在地
小高区浦尻字南台ほか
所有者
南相馬市
面積
約7ヘクタール
浦尻貝塚は、約5,700~3,000年前(縄文時代の前期~晩期)の約7ヘクタールにも及ぶ大きなムラでありました。浦尻貝塚の特徴として、『貝塚』であることがあげられます。
貝塚とは、「貝がら」などの「食べかす」を捨てたものが、山のように積み重なったものです。貝塚は普通の遺跡では、腐ってしまう魚や獣の骨が、何千年たってもそのまま出てくることから、遺跡の中でも特に重要なものとされています。
浦尻貝塚の『貝塚』は、厚さ1.8メートルを超えるなど、とても大きいものが見つかっています。また、浦尻貝塚では、各年代の貝塚があるので、縄文時代の食べ物の取り方や海の移り変わりなども知ることができます。これらのことから、浦尻貝塚は、縄文時代の福島県を代表する『大規模貝塚がある中心的なムラ』と言われています。
イノシシ下顎骨 鹿角出土状況
土器出土状況
【リーフレット】浦尻貝塚縄文の丘公園 (PDFファイル: 392.5KB)
3 横大道製鉄遺跡
よこだいどうせいてついせき
種別
国指定史跡
指定年月日
平成23年2月27日
所在地
小高区飯崎字西原
所有者
南相馬市
面積
約9,300平方メートル
小高区飯崎に所在する奈良・平安時代の製鉄遺跡です。南相馬市では、海浜で豊富にとれた砂鉄を原料とした製鉄が盛んに行われ、全国有数の製鉄工業地帯として、奈良・平安時代の国家の経営に大きな貢献をしていました。本遺跡は、奈良時代の後半に本地方に導入された新技術である竪型炉が計画的に配置された大規模な製鉄遺跡として貴重で、国指定史跡に指定されています。
4 髙島家住宅 コンクリート蔵、門及び塀
種別
国登録有形文化財
指定年月日
平成29年10月27日
所在地
小高区上町
所有者
個人
構造・形式
コンクリート蔵 鉄筋コンクリート蔵、2階建、陸屋根、建築面積37平方メートル
門
煉瓦造、間口2.8メートル
塀
煉瓦造 総延長34メートル
髙島家コンクリート蔵は昭和初期に建てられた建造物です。当時の最先端のコンクリート造の技術を用いて、階段と屋上へのテラスと手すりが立体的に組み合わさった類まれな姿を呈しています。入り口は和風の土蔵、1階は倉庫、2階は洋風の漆喰塗意匠でまとめる蔵座敷となっており、和洋が混在し、随所に手の込んだ左官仕事が施されています。また、透かしの入った赤煉瓦の門及び塀もコンクリート蔵と鮮やかな対比を見せ、小高の特異な建築文化を象徴しています。
5 大名婚礼調度等
だいみょうこんれいちょうどとう
種別
県指定重要文化財〔工芸品〕
指定年月日
昭和62年3月27日
所在地
小高区小高字上広畑
所有者
同慶寺
点数
72点
相馬家霊堂には「大名婚礼調度等」と称される、藩主の婚礼の時使われる食事用の漆器などが納められています。これらは21代昌胤以来の藩主の奥方が亡くなる度に奉納されたもので、江戸時代中頃から後半にかけて作られました。
72点のいずれもが優品であるとともに、大名の婚礼調度がこのようにまとまって保管されていることは大変珍しいことです。
6 大悲山文書
だいひさもんじょ
種別
県指定重要文化財〔古文書〕
指定年月日
昭和30年2月4日
所在地
小高区小高
所有者
個人
奥州相馬氏の一族大悲山氏に関係する鎌倉・南北朝時代の古文書です。大悲山氏は現在の泉沢(昔は大悲山)を本拠地としていたため、のちに大悲山氏と名のるようになりました。
この古文書は、中世における奥州相馬氏に関わる数少ない資料です。
7 相馬野馬追額
そうまのまおいがく
種別
県指定重要有形民俗文化財
指定年月日
昭和34年3月17日
所在地
小高区小高
所有者
相馬小高神社
行列図・野馬追図・野馬懸図の三面からなります。江戸時代中頃、18世紀頃に作られたと推定され、江戸時代の相馬野馬追の様子を知ることができます。
8 蛯沢稲荷神社奉納絵馬地引大漁図及び和船模型
えびさわいなりじんじゃほうのうえまじびきたいりょうずわせんもけい
種別
県指定重要有形民俗文化財
指定年月日
平成8年3月22日
所在地
小高区下蛯沢
所有者
蛯沢稲荷神社
蛯沢稲荷神社は、古くは代々の藩主から大事にされており、今でも漁民信仰を集める神社として知られています。明治7年に奉納されたこの大漁図は、地引網漁の様子や魚の取引の様子など浦尻の浜と思われる漁村が細やかに描かれています。
また、他に和船の模型が二隻納められています。一隻は江戸時代に作られたもので、機械船が登場する前の大型荷船の模型、もう一つは明治時代のもので、手こぎの鰹船の模型です。
今では知ることの難しい昔の船造りの技術や、船の構造を知ることができる貴重な資料といえるでしょう。
9 小高城跡
おだかじょう
種別
県指定史跡
指定年月日
昭和33年8月1日
所在地
小高区小高古城ほか
所有者
相馬小高神社ほか
小高城は鎌倉時代のおわりごろから江戸時代のはじめにかけて、約280年間「奥州相馬氏」の本拠地でありました。その姿などから別名「紅梅山浮舟城」と呼ばれていました。
南北朝の動乱から伊達氏との抗争に至るまで、まさに戦乱の世を生き抜いた城といえるでしょう。
10 大悲山の大杉
だいひさんのおおすぎ
種別
県指定天然記念物
指定年月日
昭和30年2月4日
所在地
小高区泉沢字薬師前
所有者
慈徳寺
大きさ
目通り8.4メートル 高さ約45メートル
大悲山の薬師堂石仏前にあり、目通り8.4メートル、高さ約45メートルを計る県内有数の大木です。樹齢は千年に及ぶものと推定され、薬師堂石仏が作られたころに育ち始めた木であると考えられます。
11 村上の田植踊
むらかみのたうえおどり
種別
県指定重要無形民俗文化財
指定年月日
平成27年3月31日
所在地
小高区村上
所有者
村上の田植踊保存会
村上の田植踊は、4月に貴布根神社の春祭りに社前で踊られます。最初は「道化」で、続いて「田植踊」となり、踊り手は、早乙女、弥八と中打ちで構成され、囃子は笛と枠付き締め太鼓、鉦、歌い手がつき、民謡「相馬流れ山」で舞い込み、退場します。
村上の田植踊は、振りがひときわ洗練され、歌は民謡といってもよいほど小節(こぶし)の多い技巧的なもので、県内の田植踊の変遷を知るうえで貴重な芸能です。
12 裏刳蓋付舟形刳抜石棺
うらぐりふたつきふながたくりぬきせっかん
種別
市指定有形文化財〔考古資料〕
指定年月日
昭和41年3月31日
所在地
小高区泉沢字薬師前
所有者
南相馬市
大きさ
縦197センチメートル 横70センチメートル 高さ31センチメートル
浦尻字南台で工事中に発見されました。石をくりぬき、舟の様な形をした棺で、古墳の主体部にあったものです。現在は大悲山薬師堂石仏前に保管されています。
13 深鉢「縄文前期関山式併行」
ふかばち じょうもんぜんきせきやましきへいこう
種別
市指定有形文化財〔考古資料〕
指定年月日
昭和57年9月20日
所在地
小高区上浦
所有者
南相馬市
大きさ
口径21.7 センチメートル 高さ(復元)25.4センチメートル
上浦の宮田貝塚から出土したもので、約5,700~5,800年前に作られた縄文土器です。様々に撚った縄を使い、それらを複雑に組み合わせた文様が施されています。数ある縄文土器の中でも、完成された美しさを備えています。
14 薮内の十一面観音
やぶうちのじゅういちめんかんのん
種別
市指定有形文化財〔彫刻〕
指定年月日
昭和43年2月1日
所在地
小高区上浦字藪内
所有者
薮内観音堂
大きさ
像高約120センチメートル
上浦字薮内の観音堂の中にあります。技法などから鎌倉時代に作られたものと推定され、小高の中でも古い仏像のひとつです。江戸時代に大きな修理がなされてはいますが、正面の部分は大きく変わっておらず、頬の表現などに当初の細やかな表現が認められます。
15 中村廹の文珠菩薩座像
なかむらさくのもんじゅぼさつざぞう
種別
市指定有形文化財〔彫刻〕
指定年月日
平成2年2月14日
所在地
小高区上浦字中村廹
所有者
金性寺
大きさ
像高約21センチメートル
上浦字中村廹の文殊堂内にあります。像高は約21センチメートルと大変小さいもので、江戸時代中頃の製作と考えられています。ケヤキの一木造で、両肩に髪を垂らした天女姿の表現が珍しく、衣文の表現などに当地方の特徴が良く捉えられる仏像です。
16 中村廹の虚空蔵菩薩座像
なかむらさくのこくうぞうぼさつざぞう
種別
市指定有形文化財〔彫刻〕
指定年月日
平成2年2月14日
所在地
小高区上浦字中村廹
所有者
金性寺
大きさ
像高約22センチメートル
文殊菩薩と同じ、中村廹の文殊堂内にあります。像高約22センチメートルと大変小さいものですが、作風などから室町時代、15世紀後半の作と考えられています。この地方の特色である下半身がどっしりしていることが認められます
17 下岩崎の聖観音菩薩立像
しもいわさきのしょうかんのんぼさつりゅうぞう
種別
市指定有形文化財〔彫刻〕
指定年月日
平成2年2月14日
所在地
小高区福岡字下岩崎
所有者
金性寺
大きさ
像高約154センチメートル
福岡下岩崎にあります。像高約154センチメートルを計り、カツラの木、一木で作られたものです。制作年代は鎌倉時代までさかのぼるものと推定されます。
鼻筋の通った面長な顔は厳しく、衣文の表現などに仏師の熟練した技術が認められる美しい仏像です。
18 八幡大菩薩旗
はちまんだいぼさつき
種別
市指定有形文化財〔歴史資料〕
指定年月日
平成11年2月17日
所在地
小高区小高
所有者
個人
鎌倉時代のはじめ、奥州相馬氏の祖である相馬師常は平泉の奥州藤原氏を討ち、その功績により、源頼朝から八幡大菩薩の旗を授けられました。現物は焼失してしまいましたが、江戸時代の頃の複製が小高に残されていました。
相馬地方に伝わる数多くの旗の中でも、特に由来のある旗と言えるでしょう。
19 能装束
のうしょうぞく
種別
市指定有形文化財〔工芸品〕
指定年月日
平成11年2月17日
所在地
小高区小高
所有者
個人
能は江戸時代、武家の公式行事には欠かせない催し物で、相馬氏も盛んに行なっていました。この能装束はその当時の隆盛ぶりを今に伝えるように、まばゆいばかりの豪華さを備えています。
20 伝相馬昌胤着用白羅紗地陣羽織
でんそうままさたねちゃくようしろらしゃぢじんばおり
種別
市指定有形文化財〔工芸品〕
指定年月日
平成11年2月17日
所在地
小高区小高
所有者
個人
江戸時代中頃の21代昌胤が着ていたと伝えられる陣羽織です。背中には相馬家の家紋である「九曜紋」が施され、赤・緑・赤と施される三段筋が目を引く、形と配色が良く調和した美しい陣羽織です。
21 麻地錆浅葱色大紋
あさぢさびあさぎいろだいもん
種別
市指定有形文化財〔工芸品〕
指定年月日
平成11年2月17日
所在地
小高区小高
所有者
個人
「大紋」は武家の中でも身分により着ることが規制されていた、長袴を用いた着物です。この大紋は相馬家の家紋が施されており、まさに藩主が着た礼服と言うことができます。大紋はその性格上、数も少なく現在残っているものはほとんどありません。
22 女房火事装束
にょうぼうかじしょうぞく
種別
市指定有形文化財〔工芸品〕
指定年月日
平成11年2月17日
所在地
小高区小高
所有者
個人
烏帽子姿の頭巾・羽織・胸当て・袴からなる火事場での服装であり、その紋章から24代恕胤の奥方のものと考えられます。火の粉が入らないようになどの火事場のことをよく考えた細工が施されています。
また、その装飾には現在では復元できないほどの繊細な技術が使われています。このような火事装束は全国的にも大変珍しく、大名文化を象徴する貴重な資料と言えるでしょう。
23 野馬狩の告文
のまがりのこくぶん
種別
市指定有形文化財〔古文書〕
指定年月日
平成11年2月17日
所在地
小高区小高
所有者
個人
「野馬原の馬をすべて捕えよ」という天皇の命令を神の前に告げたもので、相馬野馬追の明治時代初めの中断を証明する古文書です。
24 相馬家系図
そうまかけいず
種別
市指定有形文化財〔古文書〕
指定年月日
平成11年2月17日
所在地
小高区小高
所有者
個人
相馬家系図は県指定重要文化財である歓喜寺(相馬市)のものが知られていますが、小高のものは歓喜寺のものとほぼ同様であり、年代も近いものと考えられます。
25 小高城跡採集金鯱片
おだかじょうあとさいしゅうきんこへん
種別
市指定有形文化財〔考古資料〕
指定年月日
平成11年2月17日
所在地
小高区小高
所有者
個人
小高城跡で見つかったもので、金箔や朱で塗られた鯱の破片です。
豊臣配下の大名の城跡から出土することが多いといわれ、相馬氏の歴史的背景を窺がわせる貴重な資料と言えます。
26 生駒家文書
いこまけもんじょ
種別
市指定有形文化財〔古文書〕
指定年月日
平成14年3月31日[
所在地
小高区泉沢
所有者
個人
生駒家はもともと豊臣秀吉に仕えており、後に相馬中村藩で家老職などの要職を務めました。
この古文書には、県内では大変珍しい豊臣秀吉直筆の書状、秀次や秀吉五奉行から生駒家へ送られた書状の他、相馬中村藩主からの年賀状など相馬の歴史を知る上でも貴重な文書が含まれています。
27 相馬家墓地並びに霊堂
そうまけぼちならびにれいどう
種別
市指定史跡
指定年月日
昭和41年3月31日
所在地
小高区小高字上広畑
所有者
個人
同慶寺は相馬家代々の菩提寺で、江戸時代を通じて歴代の藩主が葬られています。 整然と並ぶ五輪塔などを中心とした相馬家墓地と、相馬家一族の位牌を納めた霊堂が市指定文化財に指定されています。
28 浪岩の横穴古墳A群11号
なみいわのおうけつこふんえーぐんじゅういちごう
種別
市指定史跡
指定年月日
昭和41年3月31日
所在地
小高区泉沢字浪岩
所有者
南相馬市
泉沢字浪岩にある横穴墓群の中の、A群11号と名付けられたものは一部赤・白の彩色が残っています。国指定史跡の清戸迫横穴(双葉町)や羽山横穴(原町区)と同様の装飾横穴墓で、本来はそれらと肩をならべる装飾があったものと考えられます。他にも浪岩の横穴墓の中には人物や鶴などが刻まれたものが確認されています。
29 村上城跡
むらかみじょうあと
種別
市指定史跡
指定年月日
昭和41年3月31日
所在地
小高区村上字舘内
所有者
個人ほか
16代相馬義胤が、眼下に太平洋を望むこの地を戦略上重要な場所として土塁を築き、まさに館を建てようとした前日、火災により山積みした木材が灰になってしまいました。義胤はこれを不吉として、牛越城(原町区)に城を築くこととなりました。いまも土塁や濠が残っており、当時の様子を伺い知ることができます。
30 菖蒲沢の野馬土手・高木戸の野馬土手
しょうぶざわののまどて・たかきどののまどて
種別
市指定史跡
指定年月日
昭和45年3月1日
所在地
小高区羽倉字菖蒲沢ほか
所有者
個人
江戸時代に野馬の保護と増殖、また農作物の保護の目的で石垣や土塁が築かれました。主に現在の原町区の広い範囲で確認されていますが、小高の羽倉にも長さ延べ数百メートルにわたって残されています。
31 日向横穴群1号墓
ひむきおうけつぐんいちごうぼ
種別
市指定史跡
指定年月日
昭和57年9月20日
所在地
小高区塚原字日向
所有者
個人
塚原字日向にあり、当地方で横穴墓が作られ始めた頃の6世紀代の古い段階のものと考えられます。
32 岩屋堂石仏並びに横穴墓群
いわやどうせきぶつならびにおうけつぼぐん
種別
市指定史跡
指定年月日
平成6年1月26日
所在地
小高区吉名字漆原
所有者
個人
吉名字漆原にある十数基の横穴墓ですが、後の時代になってこれを改造し、大悲山の石仏のように岩を削って3体の仏を作り出しています。横穴墓は古墳時代のもの、石仏は平安時代以降のものと考えられています。
33 行津の大杉
なめづのおおすぎ
種別
市指定天然記念物
指定年月日
昭和43年2月1日
所在地
小高区行津字宮下
所有者
星神社
大きさ
高さ約30メートル 目通り7メートル
国道6号を浪江方面に向かうと、右手に一際目立って見える大杉で、高さ約30メートル、目通り7メートルを計ります。行津の星神社の神木として、今なお大事にされ続けています。
34 同慶寺のいちょう
どうけいじのいちょう
種別
市指定天然記念物
指定年月日
昭和50年10月1日
所在地
小高区小高字上広畑
所有者
同慶寺
大きさ
高さは約35メートル 目通りは5.3メートル
この地方では珍しい、いちょうの巨木です。高さは約35メートル、目通りは5.3メートルを計ります。樹齢は300年~400年と推定されており、同慶寺とともに育まれた木であると言えます。
35 飯崎のしだれ桜
はんざきのしだれさくら
種別
市指定天然記念物
指定年月日
昭和57年9月20日
所在地
小高区飯崎字北久保
所有者
南相馬市
大きさ
高さ約12メートル 目通り3.6メートル
いわゆるベニシダレ(エドヒガンの枝垂れ)の古木です。飯崎の北久保共同墓地内にあります。高さ約12メートル、目通り3.6メートルを計り、枝振りは約300平方メートルにわたって傘状の広がりをみせる大木です。元気のよさとその姿が特にすぐれており、春にはお墓をつつみこむように美しい花を咲かせます。
36 上浦のキャラ
かみうらのきゃら
種別
市指定天然記念物
指定年月日
平成6年1月26日
所在地
小高区上浦字延命
所有者
個人
大きさ 高さ約2メートル 枝回り約15メートル
キャラとは高山に分布するイチイ科のイチイ属の変種で、庭園に植えられる低木です。高さは約2メートルしかありませんが、枝は約15メートルにも及び傘状の広がりを見せます。樹齢300年以上と推定されています。
37 大富のヒイラギ
おおとみのひいらぎ
種別
市指定天然記念物
指定年月日
平成9年7月1日
所在地
小高区大富字熊平
所有者
個人
大きさ
高さ約9メートル 目通り約2.7メートル
高さ約9メートル、目通り約2.7メートルを計り、樹齢は100年以上のものと推定されます。ヒイラギの自生はいわき地方が北限とされ、当地方では生育の厳しい環境ですが、このヒイラギは枝張り、樹勢ともに優れた大変珍しい老木です。
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更新日:2024年02月28日