原町区の文化財1
1 桜井古墳(桜井古墳群1号墳)
「さくらいこふん」
種別
国指定史跡
指定年月日
昭和31年11月7日
所在地
原町区上渋佐字原畑
所有者
南相馬市
大きさ
前方後方墳
全長
74.5メートル
高さ
6.8メートル
桜井古墳
桜井古墳は新田川南側に立地する、東北地方でも有数の墳丘規模を誇る大型の前方後方墳です。浜通りを見渡しても、桜井古墳の大きさを越える古墳は、いわき市玉山1号墳(前方後方墳)があるだけです。この古墳が造られた時期は出土した土器から4世紀後半と考えられています。古墳に埋葬された人物は新田川を中心とする広い地域を支配した有力者であったと考えられ、本市のみならず東北地方の古墳文化を知るうえでは、極めて重要な遺跡であるといえるでしょう。もともと桜井古墳の周辺にはたくさんの古墳があったといわれていますが、現在では墳丘を残している古墳は12基だけになってしまいました。
参考
桜井古墳の発掘調査では遺跡を後世に残すために、埋葬施設の調査は実施していませんが、古墳の頂上には2個所で棺の痕跡が発見されました。桜井古墳に埋葬された二人の人物の関係は、どのようなものだったのでしょうか。謎はつきません。
【リーフレット】桜井古墳 (PDFファイル: 705.2KB)
2 旧武山家住宅
「きゅうたけやまけじゅうたく」
種別
国指定重要文化財〔建造物〕
指定年月日
昭和46年3月11日
所在地
原町区北原字大塚
所有者
南相馬市
大きさ
桁行9間 梁間4.25間
旧武山家住宅
旧武山家住宅は、18世紀後半の建築様式を備えた在郷給人(ざいごうきゅうにん)の典型的住宅です。
武山家の屋敷地はかっては約4000平方メートルの広さで、ほぼ中央にオモヤがあり向ってその右側に1棟の馬屋と納屋が接続していた。その他土蔵、雪隠(せっちん)、隠居(いんきょ)、閑居(かんきょ)などの建物が、オモヤの周辺に配置されていた。この住宅は、当時の一般的な農家より大きく部屋の配置も1室列多い造りとなっています。また、奥の座敷には床の間、棚、書院などの座敷飾が簡素ながら備えられ、一応の格式をあらわしています。相馬藩ではしばしば家作制限を出しているが、寛政4年(1792)に定められた「家作之定(かさくこれさだめ)」の給人郷土の部に記された内容とほぼ一致しています。
参考
在郷給人とは農村部に住んだ武士のことです。武山家は当時16石を給されていました。(米約32俵)
一般公開日は4月・5月・9月・10月の第2日曜日に行っています。
3 羽山横穴
「はやまよこあな」
種別
国指定史跡
指定年月日
昭和49年12月23日
所在地
原町区中太田字天狗田
所有者
南相馬市
大きさ
奥行
2.9メートル
巾
2.8メートル
高
1.8メートル
昭和48年4月26日未明、羽山丘陵斜面で宅地造成作業中の重機の足元に大きな穴が開きました。驚いた作業員が穴のなかに降りてみると、穴の壁面には赤色の塗料で絵が描かれていることが分かりました。
急遽、発掘調査が行われ、古墳時代終末に造られた横穴墓であること、墓室(玄室)の正面・側面・天井に赤色と白色の塗料を使って、人物・馬渦巻き・点文などが描かれていることが明らかとなりました。また、墓室の床からは金銅製太刀・鉄製馬具・青銅製釧・ガラス製小玉・土師器・須恵器が出土しました。 羽山横穴のような壁画がかかれている古墳を「装飾古墳」と呼びますが、装飾古墳は福島・宮城県の太平洋岸と九州地方に多く分布しています。
玄室奥壁の壁画
同上渦巻文
玄門
参考
羽山横穴は、遺跡の保存を考え年4回の一般公開日を設けています。公開日は4月・5月・9月・10月の第2日曜日です。
出土品は南相馬市立博物館に展示してあります。
【リーフレット】羽山横穴 (PDFファイル: 413.9KB)
4 相馬野馬追
「そうまのまおい」
種別
国指定重要無形民俗文化財
指定年月日
昭和53年5月22日
管理団体
相馬野馬追保存会
相馬野馬追は東北にくり展げられる夏まつりのさきがけとして、華々しく毎年開催されています。
相馬野馬追の性格は野馬を妙見社に捧げる神事から発したもので、のちに軍事訓練の具に供せられたが、明治以降領主武家の手から放れ、地域住民の祭事として行われることになりました。
歴史を辿ってみると、昔相馬氏(奥州中村藩)は下総国(しもふさのくに)相馬郡(現茨城県取手市周辺)におり、千葉県流山市の近郊小金ヶ原で野馬を追い軍法を練ったと伝えられています。明治に入ってからは大きく様変わりして相馬太田神社、相馬小高神社、相馬中村神社による祭礼として定着しました。
相馬野馬追の特徴は、なんと云っても古くて長い伝統をもち、相馬、双葉両郡の大部分に及ぶ市町村住民が参加する広域行事で、甲冑を身につけた数百頭の騎馬行列です。
甲冑競馬
神旗争奪戦
参考
開催日は毎年7月の最終土曜日、日曜日、月曜日の3日間です。
5 泉官衙遺跡
「いずみかんがいせき」
種別
国指定史跡
指定年月日
平成22年2月22日
所在地
原町区泉字寺家前ほか
所有者
南相馬市
面積
約11.5ヘクタール
南相馬市原町区泉地区の新田川河口近くに所在する、国史跡泉官衙遺跡(いずみかんがいせき)が平成30年2月に国指定史跡の範囲を拡大する追加指定を受けました。
泉官衙遺跡は、古代(奈良時代~平安時代)に当地方(陸奥国行方郡)の行政を担った役所跡で、政務を行った役所の中心施設の郡庁院を始めとして、租税を収納した正倉院や、上級役人等をもてなして宿泊する舘院など、地方の官衙を構成する各施設が具体的に発見されたことが評価され、約11.5ヘクタールの範囲が国指定史跡の指定を受け、遺跡の大部分が国指定史跡となり保存されることとなりました。
【パンフレット】泉官衙遺跡(泉廃寺跡) (PDFファイル: 4.2MB)
6 朝日座
「あさひざ」
種別
国登録有形文化財〔建造物〕
指定年月日
平成26年4月25日
所在地
原町区大町一丁目
所有者
一般社団法人 朝日座
構造・形式
木造2階建、鉄板葺、建築面積508平方メートル
大正12年建築された建造物です。芝居小屋兼活動写真館として建てられた映画館で、桟敷席などを残しています。地域の娯楽の殿堂として長く親しまれ、芝居小屋から映画館へ至る改修の歴史を伝えています。
7 泉の一葉松
「いずみのいちようまつ」
種別
県指定天然記念物
指定年月日
昭和30年12月27日
所在地
原町区泉字町池
所有者
泉地区共有
大きさ
高さ約9メートル 根回り約3メートル、太さ(目通り)約2.7メートル
泉の一葉松
泉の一葉松は黒松の巨木で、樹齢は約400年と推定されています。この一葉松は、一本の幹から2葉と1葉が共に生えている全国的にも珍しいクロマツです。
日本における野生のマツは、二葉マツのクロマツ・アカマツ・リュウキュウマツの3種、5葉マツのハイマツ・ヒメコマツ・チョウセンゴヨウマツ・アカミゴヨウマツなど4種があります。
中村藩の地志「奥相志(おうそうし)」によれば、源義経が奥州平泉への下向の際、泉に住んでいたという泉長者のことを聞いた義経が、莫大な富を持つ長者の存在が後々の災のもとになるとういう理由から、部下の弁慶を遣わし、長者の屋敷に火を放ったという伝説が残っています。この時弁慶がこの松に腰を掛け燃えさかる長者の屋敷をながめていたということから「弁慶の腰掛松(こしかけまつ)」とも呼ばれています。
参考
大正時代までは2本ありましたが、現在は1本のみとなっています。
8 泉廃寺跡
「いずみはいじあと」
種別
県指定史跡
指定年月日
昭和30年12月27日
所在地
原町区泉字宮前
所有者
個人ほか
面積
約4,000平方メートル
黄色が県指定の範囲
泉字寺家前・宮前を中心とした水田・畑地には、かつて多くの礎石(そせき)が点在し、特異な文様をもつ布目瓦(ぬのめかわら)や炭化米が出土することから、奈良時代から平安時代にかけて営まれた寺院の存在した遺跡として県指定の史跡となっています。
その後高平地区の基盤整備事業に伴う発掘調査の結果、泉廃寺跡は県指定地を中心として字町池・宮前・寺家前・町・舘前にまたがる東西約1キロメートル、面積約12万平方メートルが遺跡の範囲として把握されるとともにその性格も寺院でなく現在の南相馬市・飯館村の範囲にほぼ相当する古代陸奥国行方郡(むつのくになめかたぐん)を治めた郡役所跡であることが判明した。これら遺跡は全国的にも典型的郡役所跡として全国から注目されています。
参考
『続日本紀』には、宝亀5年(774年)に陸奥国行方郡の役所で火災があり、税として収められた2万5千400石の稲穀が焼失したとの記載があります。穀物を納めた正倉院の火災によって焼失したものと推定されます。
9 泉廃寺跡出土瓦
「いずみはいじあとしゅつどかわら」
種別
県指定 重要文化財
指定年月日
昭和31年9月4日
所在地
南相馬市立博物館
所有者
南相馬市
点数
26点
本資料は、瓦25点、円面硯片1点計26点の一括資料を指すもので、佐藤助信、佐藤二郎氏ら泉文化保存会の多年にわたる献身的活動により収集されたものです。たまたま内藤政恒博士の着目するところとなり、本資料に関する論考が発表されて注目を浴びるようになりました。
さらに、これらの瓦は、腰浜廃寺(福島市)出土瓦と文様技法などに共通の特徴を持つことから、その当時、行方、信夫両地間に政治的、経済的、文化的交流が盛んに行われたことを伺わせるものとして、意義の大きいことを示しています。
なお、本資料の大部分は、惣ガ沢・館前遺跡と寺家前遺跡(泉長者遺跡)とが同一性格を持つ複合遺跡と推定されて“泉廃寺跡”名が冠されるようなりました。
参考
舘前地区では平成10年に行われた発掘調査により同じ文様の瓦が出土されています。
10 木造十一面観音立像
「もくぞうじゅういちめんかんのんりつぞう」
種別
県指定重要文化財〔彫刻〕
指定年月日
昭和37年3月30日
所在地
原町区泉字寺家前
所有者
泉観音堂
大きさ
像高160.6センチメートル
泉の観音堂内に安置する本尊十一面観音像は、鎌倉末期の優作として県重要文に指定されています。
この尊像は像高160.6センチメートルの彫眼、寄木(よせぎ)造で、前後に彫成したものを側面ではぎ合わせる古い手法を用いています。
この観音像造顕の由緒はわからないが、伝説では泉長者の守護仏といわれています。堂内左手の棚に高さ10センチメートルくらいの素焼きの千体仏(正観音)が奉納されていますが、元禄年(1691)の補修牌があることから、これより以前に供養されたものと思われます。
参考
観音堂の縁日は、例祭が1月20日。夏祭が7月第3日曜日 10時から15時、この日に本尊のご開帳があります。
11 初発神社のスダジイ樹林
「はじめじんじゃのすだじいじゅりん」
種別
県指定 天然記念物
指定年月日
昭和44年4月11日
所在地
原町区江井字西山
所有者
初発神社
スダジイはイタジイともいい、福島県から琉球南端まで原生し、この樹林は天然分布の北限の地にあります。スダジイの堅実は長さ1.5センチメートル、卵形の長楕円形で日本では農耕文化以前には重要な食料であったと考えられます。
初発神社のスダジイは、最も大きな木で高さ21メートル、地上1.5メートルで幹廻り1メートルのものが7本あります。他にはアカシイ・モミ・アカマツ・ヒサカキ・アセビ・ヤブツバキヤブコウジなど常緑樹が多く原生しています。
参考
初発神社は江井氏の護神で、江井氏が他所に移り里社となりました。現社殿は明治14年村人により新造されたものです。
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更新日:2024年02月20日