埴谷雄高と小高

埴谷雄高、本名を般若豊といい、1909(明治42)年12月19日に台湾の新竹で生まれました。出生当時、父三郎は税務官吏でした。
小高とのかかわりは、明治維新後に、廃藩置県により小高の岡田の地を与えられ、土着したことから始まります。土着した土地は、埴谷氏の本籍地である相馬郡小高町岡田字山田315番地(現南相馬市小高区岡田字山田315番地)です。
もともと般若氏は、14世紀はじめに相馬氏が小高入りしたときに従った家臣団の一員でした。
台湾から日本へ戻ってきてからは、中学時代に夏休みのときに、小高に住んでいた父親を訪ねたりしました。その後40年ぶりに小高を訪ねたのが1962(昭和37)年です。その後、1966(昭和41)年に島尾敏雄氏の長男、長女とともに訪れ、相馬野馬追を島尾敏雄氏の甥に案内されました。このことは、「無言旅行」というエッセイに書かれています。
1997(平成9)年2月19日、脳梗塞のため87歳で逝去しました。
埴谷雄高は、終生相馬藩士の末裔であることの誇りと「小高」に対する絶ちがたい執着とを持ち続けました。東京の青山墓地に埋葬されましたが、相馬家墓所と隣り合わせていることは、不思議な縁と言えます。
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更新日:2018年12月25日