島尾敏雄年譜

更新日:2021年04月13日

島尾敏雄年譜 一覧
西暦 元号 島尾敏雄年譜 世界の動き
1917 大正6 父四郎、母トシの長男として横浜で出生。 ロシア革命
1923 大正12 家族全員が小高で療養していた敏雄を迎えに来ていたため、震災の難を逃れる。 関東大震災
1929 昭和4 神戸尋常小学校に転校する。  
1930 昭和5 兵庫県立第一神戸商業学校に入学。  
1936 昭和11 長崎高等商業学校に入学。  
1938 昭和13 「おキイの貞操とマコ」を発表するが、発禁処分を受け、長崎警察署の特攻室で取り調べられた。  
1939 昭和14 長崎高等商業学校を卒業する。「科学知識」の懸賞小説で「お紀枝」が佳作当選。「こおろ」(のちに「こをろ」)を創刊する。 第二次世界大戦開戦
1940 昭和15 九州帝国大学法文学部経済学科に入学。  
1941 昭和16 経済学科を退学。同学部文科に再入学し、東洋史を専攻する。 日米開戦
1943 昭和18 大学を繰り上げ卒業し、海軍予備学生を志願。一般兵科に採用。旅順海軍予備学生教育部に入る。『幼年記』70部を自費出版する。 学徒出陣
1944 昭和19 第18震洋隊の隊長に任命され、奄美の加計呂麻島呑之浦基地に赴任する。大平ミホを知る。  
1945 昭和20 出撃命令が下されるが、待機のまま終戦を迎える。 日本降伏
1946 昭和21 大平ミホと結婚  
1948 昭和23 「近代文学」第二次同人に参加。長男伸三誕生。  
1950 昭和25 「出孤島記」で第1回戦後文学賞受賞。長女マヤ誕生。 朝鮮戦争勃発
1956 昭和31 鹿児島県立大島高校、大島実業高校定時制の非常勤講師となる。名瀬市(現奄美市)の聖心教会でカトリック洗礼を受ける。 ハンガリー事件
1958 昭和33 鹿児島県立図書館奄美分館が開設され、初代館長に就任。  
1960 昭和35 『死の棘』刊行。 日米新安保条約
1961 昭和36 『死の棘』で昭和35年度第11回芸術選奨(文芸部門)を受賞。  
1964 昭和39 『出発は遂に訪れず』刊行。 東京五輪開催
1965 昭和40 『日のちぢまり』刊行。 ベトナム北爆
1970 昭和45 秋から冬にかけて、ソヴェト、東欧を旅行。  
1972 昭和47 『硝子障子のシルエット』を刊行。第26回毎日出版文化賞を受賞。  
1975 昭和50 『夢のかげを求めて』刊行。 ベトナム戦争終結
1976 昭和51 『鬼剥げ』刊行。 ロッキード事件
1977 昭和52 『日の移ろい』で谷崎潤一郎賞を受賞。  
1978 昭和53 『死の棘』で読売文学賞、日本文学大賞を受賞。 日中平和条約
1981 昭和56 日本芸術院賞を受賞。同会員となる。  
1983 昭和58 「湾内の入り江」で川端康成賞を受賞  
1985 昭和60 『夢屑』、『魚雷艇学生』を刊行。野間文芸賞を受賞。  
1986 昭和61 出血性脳梗塞のため逝去。69歳。 チェルノブイリ原発事故
この記事に関するお問い合わせ先

教育委員会 生涯学習課 埴谷・島尾記念文学資料館


〒979-2124
福島県南相馬市小高区本町二丁目89番地-1(浮舟文化会館)


電話:0244-66-1011
お問い合わせメールフォーム

このページに関するアンケート

より良いウェブサイトにするために、このページのご感想をお聞かせください。

このページの内容は分かりやすかったですか



分かりにくかった理由は何ですか(複数回答可)



このページは探しやすかったですか



探しにくかった理由は何ですか(複数回答可)