島尾敏雄年譜
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西暦 | 元号 | 島尾敏雄年譜 | 世界の動き |
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1917 | 大正6 | 父四郎、母トシの長男として横浜で出生。 | ロシア革命 |
1923 | 大正12 | 家族全員が小高で療養していた敏雄を迎えに来ていたため、震災の難を逃れる。 | 関東大震災 |
1929 | 昭和4 | 神戸尋常小学校に転校する。 | |
1930 | 昭和5 | 兵庫県立第一神戸商業学校に入学。 | |
1936 | 昭和11 | 長崎高等商業学校に入学。 | |
1938 | 昭和13 | 「おキイの貞操とマコ」を発表するが、発禁処分を受け、長崎警察署の特攻室で取り調べられた。 | |
1939 | 昭和14 | 長崎高等商業学校を卒業する。「科学知識」の懸賞小説で「お紀枝」が佳作当選。「こおろ」(のちに「こをろ」)を創刊する。 | 第二次世界大戦開戦 |
1940 | 昭和15 | 九州帝国大学法文学部経済学科に入学。 | |
1941 | 昭和16 | 経済学科を退学。同学部文科に再入学し、東洋史を専攻する。 | 日米開戦 |
1943 | 昭和18 | 大学を繰り上げ卒業し、海軍予備学生を志願。一般兵科に採用。旅順海軍予備学生教育部に入る。『幼年記』70部を自費出版する。 | 学徒出陣 |
1944 | 昭和19 | 第18震洋隊の隊長に任命され、奄美の加計呂麻島呑之浦基地に赴任する。大平ミホを知る。 | |
1945 | 昭和20 | 出撃命令が下されるが、待機のまま終戦を迎える。 | 日本降伏 |
1946 | 昭和21 | 大平ミホと結婚 | |
1948 | 昭和23 | 「近代文学」第二次同人に参加。長男伸三誕生。 | |
1950 | 昭和25 | 「出孤島記」で第1回戦後文学賞受賞。長女マヤ誕生。 | 朝鮮戦争勃発 |
1956 | 昭和31 | 鹿児島県立大島高校、大島実業高校定時制の非常勤講師となる。名瀬市(現奄美市)の聖心教会でカトリック洗礼を受ける。 | ハンガリー事件 |
1958 | 昭和33 | 鹿児島県立図書館奄美分館が開設され、初代館長に就任。 | |
1960 | 昭和35 | 『死の棘』刊行。 | 日米新安保条約 |
1961 | 昭和36 | 『死の棘』で昭和35年度第11回芸術選奨(文芸部門)を受賞。 | |
1964 | 昭和39 | 『出発は遂に訪れず』刊行。 | 東京五輪開催 |
1965 | 昭和40 | 『日のちぢまり』刊行。 | ベトナム北爆 |
1970 | 昭和45 | 秋から冬にかけて、ソヴェト、東欧を旅行。 | |
1972 | 昭和47 | 『硝子障子のシルエット』を刊行。第26回毎日出版文化賞を受賞。 | |
1975 | 昭和50 | 『夢のかげを求めて』刊行。 | ベトナム戦争終結 |
1976 | 昭和51 | 『鬼剥げ』刊行。 | ロッキード事件 |
1977 | 昭和52 | 『日の移ろい』で谷崎潤一郎賞を受賞。 | |
1978 | 昭和53 | 『死の棘』で読売文学賞、日本文学大賞を受賞。 | 日中平和条約 |
1981 | 昭和56 | 日本芸術院賞を受賞。同会員となる。 | |
1983 | 昭和58 | 「湾内の入り江」で川端康成賞を受賞 | |
1985 | 昭和60 | 『夢屑』、『魚雷艇学生』を刊行。野間文芸賞を受賞。 | |
1986 | 昭和61 | 出血性脳梗塞のため逝去。69歳。 | チェルノブイリ原発事故 |
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更新日:2021年04月13日