島尾敏雄と小高

更新日:2018年12月25日

メガネをかけた島尾敏雄が右手で頬杖をついている白黒の写真

 島尾敏雄は、1917(大正6)年神奈川県横浜市で父四郎、母トシの長男として生まれました。父親は、小高町大井(現小高区大井)、母親は、小高町岡田(現小高区岡田)の出身で、父は輸出絹織物商を営んでいました。母の旧姓は、井上です。
 1923(大正12)年の関東大震災によって、横浜の家が全壊焼失しましたが、そのとき、小高で病後の療養をしていた敏雄を迎えに行くため、家族全員が小高に来ていたことから難を逃れることができました。
 敏雄は、しばしば小高を訪れ、小高を「いなか」と呼んで親しみました。幼少年期に小高で過ごし、母方の祖母キクの昔ばなしを聞いたことや、いとこたちとのふれあいが、作品にも大きな影響を与えています。
 1986(昭和61)年11月12日、出血性脳梗塞によって、鹿児島市で69歳の生涯を閉じました。12月16日、金性寺で長男伸三夫妻による法要ののち、大井にある墓所に納骨されました。

この記事に関するお問い合わせ先

教育委員会 生涯学習課 埴谷・島尾記念文学資料館


〒979-2124
福島県南相馬市小高区本町二丁目89番地-1(浮舟文化会館)


電話:0244-66-1011
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