鈴木安蔵年譜

更新日:2018年12月25日

鈴木安蔵年譜 一覧
元号 年齢 できごと
明治37 0歳 3月3日、鈴木良雄、ルイの長男として誕生
大正6 13歳 3月、小高小学校高等科1年終了。
4月、福島県立相馬中学校入学。
大正9 16歳 2月、校内における上級生から下級生への暴力に対し、暴力制裁を追及するための「同盟休校」の指導者となる。
10月9日、第二高等学校尚志会弁論部主催の「第1回東北中学校連合演説会」に相馬中学校弁論部代表選手として出場し、優勝。演題は、「孤独に徹する心」。
11月、東北文芸協会主催の「県下中等学校連合第2回雄弁大会」に、主催者依頼により招待選手として出場。演題は、「ポプラ樹陰の独語」。
大正10 17歳 3月、相馬中学校4年修了。
4月、第二高等学校文科甲類入学。
大正12 19歳 この年度の『尚志』に「或寂しき夜の想片」を発表。人生、社会をあまりにも暗く見過ぎているとの理由から、同文を掲載した『尚志』の頒布禁止命令が学校当局から出される。
「第二高等学校社会思想研究会」の創立者の一人となる。
大正13 20歳 3月、第二高等学校卒業。
4月、哲学の西田幾多郎氏、社会学の米田庄太郎氏などの諸学者の教えを受ける希望に燃えて、京都帝国大学文学部に入学。
同月、「京都帝国大学社会科学研究会」に入会。
大正14 21歳 4月、社会の矛盾に対決するためには、経済学が必要との考えから、同大学経済学部に転部する。
大正15 22歳 1月、最初の治安維持法違反事件としての「日本学生社会科学連合会事件(学連事件)」で検挙を受ける。
昭和2 23歳 5月30日、「学連事件」における京都地裁(第一審)の有罪判決、禁固10か月が下される。この判決により、京都帝国大学を自主退学する。以後、憲法学・政治学の研究に従事する。
6月16日、栗原俊子と結婚する。
昭和4 25歳 2月~8月、河上肇氏から任された『社会問題研究』の編集に従事する。
産業労働調査所に入所する。
昭和5 26歳 5月30日、「学連事件」にかかる上告棄却。
昭和10 30歳 9月、日本芸術振興会第九小委員会助手となる。
昭和12 32歳 6月、衆議院憲政史編纂会委員となる。
昭和20 40歳 11月~12月、憲法研究会の改憲草案である『憲法草案要綱』(12月26日公表)を起草する。
昭和21 41歳 憲法普及会理事となる。
昭和23 43歳 11月5日、日本政治学会の理事となる。
昭和26 46歳 12月、静岡大学文理学部講師となる。
昭和27 47歳 1月、静岡大学文理学部教授となる。
4月、日本公法学会の理事となる。
5月、愛知大学法経学部の兼任教授となる。
昭和28 48歳 4月、愛知大学大学院法学研究科の兼任教授となる。
昭和29 49歳 6月、静岡大学文理学部長となる。
昭和33 53歳 8月、日本学術会議会員となる。
昭和37 57歳 1月14日、日本民主法律家協会・憲法委員会委員長となる。
昭和39 59歳 1月、「憲法理論研究会」を組織する。
昭和40 60歳 3月、憲法改悪阻止各界連絡会議代表委員となる。
昭和42 62歳 3月、静岡大学を定年退職する。同大学名誉教授となる。
昭和45 65歳 11月、立正大学教養学部長となる。
昭和50 70歳 3月、立正大学教養学部を辞する。
昭和51 71歳 3月、立正大学を定年退職する。
昭和58 78歳 3月、愛知大学大学院を辞する。
8月7日、逝去。
この記事に関するお問い合わせ先

教育委員会 生涯学習課 埴谷・島尾記念文学資料館


〒979-2124
福島県南相馬市小高区本町二丁目89番地-1(浮舟文化会館)


電話:0244-66-1011
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