鈴木安蔵年譜
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元号 | 年齢 | できごと |
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明治37 | 0歳 | 3月3日、鈴木良雄、ルイの長男として誕生 |
大正6 | 13歳 | 3月、小高小学校高等科1年終了。 4月、福島県立相馬中学校入学。 |
大正9 | 16歳 | 2月、校内における上級生から下級生への暴力に対し、暴力制裁を追及するための「同盟休校」の指導者となる。 10月9日、第二高等学校尚志会弁論部主催の「第1回東北中学校連合演説会」に相馬中学校弁論部代表選手として出場し、優勝。演題は、「孤独に徹する心」。 11月、東北文芸協会主催の「県下中等学校連合第2回雄弁大会」に、主催者依頼により招待選手として出場。演題は、「ポプラ樹陰の独語」。 |
大正10 | 17歳 | 3月、相馬中学校4年修了。 4月、第二高等学校文科甲類入学。 |
大正12 | 19歳 | この年度の『尚志』に「或寂しき夜の想片」を発表。人生、社会をあまりにも暗く見過ぎているとの理由から、同文を掲載した『尚志』の頒布禁止命令が学校当局から出される。 「第二高等学校社会思想研究会」の創立者の一人となる。 |
大正13 | 20歳 | 3月、第二高等学校卒業。 4月、哲学の西田幾多郎氏、社会学の米田庄太郎氏などの諸学者の教えを受ける希望に燃えて、京都帝国大学文学部に入学。 同月、「京都帝国大学社会科学研究会」に入会。 |
大正14 | 21歳 | 4月、社会の矛盾に対決するためには、経済学が必要との考えから、同大学経済学部に転部する。 |
大正15 | 22歳 | 1月、最初の治安維持法違反事件としての「日本学生社会科学連合会事件(学連事件)」で検挙を受ける。 |
昭和2 | 23歳 | 5月30日、「学連事件」における京都地裁(第一審)の有罪判決、禁固10か月が下される。この判決により、京都帝国大学を自主退学する。以後、憲法学・政治学の研究に従事する。 6月16日、栗原俊子と結婚する。 |
昭和4 | 25歳 | 2月~8月、河上肇氏から任された『社会問題研究』の編集に従事する。 産業労働調査所に入所する。 |
昭和5 | 26歳 | 5月30日、「学連事件」にかかる上告棄却。 |
昭和10 | 30歳 | 9月、日本芸術振興会第九小委員会助手となる。 |
昭和12 | 32歳 | 6月、衆議院憲政史編纂会委員となる。 |
昭和20 | 40歳 | 11月~12月、憲法研究会の改憲草案である『憲法草案要綱』(12月26日公表)を起草する。 |
昭和21 | 41歳 | 憲法普及会理事となる。 |
昭和23 | 43歳 | 11月5日、日本政治学会の理事となる。 |
昭和26 | 46歳 | 12月、静岡大学文理学部講師となる。 |
昭和27 | 47歳 | 1月、静岡大学文理学部教授となる。 4月、日本公法学会の理事となる。 5月、愛知大学法経学部の兼任教授となる。 |
昭和28 | 48歳 | 4月、愛知大学大学院法学研究科の兼任教授となる。 |
昭和29 | 49歳 | 6月、静岡大学文理学部長となる。 |
昭和33 | 53歳 | 8月、日本学術会議会員となる。 |
昭和37 | 57歳 | 1月14日、日本民主法律家協会・憲法委員会委員長となる。 |
昭和39 | 59歳 | 1月、「憲法理論研究会」を組織する。 |
昭和40 | 60歳 | 3月、憲法改悪阻止各界連絡会議代表委員となる。 |
昭和42 | 62歳 | 3月、静岡大学を定年退職する。同大学名誉教授となる。 |
昭和45 | 65歳 | 11月、立正大学教養学部長となる。 |
昭和50 | 70歳 | 3月、立正大学教養学部を辞する。 |
昭和51 | 71歳 | 3月、立正大学を定年退職する。 |
昭和58 | 78歳 | 3月、愛知大学大学院を辞する。 8月7日、逝去。 |
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更新日:2018年12月25日