半谷清壽年譜

更新日:2018年12月25日

半谷清壽年譜一覧
西暦 元号 年齢 事項
1858 安政5年 0歳 小高郷大井(小高町)で出生
1866 慶応2年 8歳 金性寺に入門する。
1872 明治4年 14歳 原町の商家に丁稚奉公。
1875 明治8年 17歳 錦織晩香塾に入門する。
1876 明治9年 18歳 三春師範(福島師範)に入学する。
1877 明治10年 19歳 安達郡訓導に奉職する。
1879 明治12年 21歳 小高に戻り、酒造と酒販売業を始める。
1881 明治14年 23歳 農談会をおこし、乾田の普及につとめる。
1884 明治17年 26歳 蚕談会を組織し、外国貿易の花形にのし上がった絹糸の生産を起こすため、養蚕業の振興にのりだす。養蚕研究室を大井に設ける。
伊達郡高橋久右ェ門を訪問し実地研究する。
1885 明治18年 27歳 福島県会議員となる。
1886 明治19年 28歳 松方正義、雨宮敬二郎と知遇を得る。
小高に相馬織物会社を設立。
1888 明治21年 30歳 『養蚕原論』を発行。
1889 明治22年 31歳 『養蚕術』を発行。
1892 明治25年 34歳 『天下の実業家諸君に告ぐ』『官民調和策』等自費発行する。
1893 明治26年 35歳 松方正義を訪問し、不況の深刻さと相馬の実情を訴え、10万円を借り入れ不況の打開をはかった。
1894 明治27年 36歳 常磐線開設の土地買い入れが始まり、しばしば襲撃を受ける。
1897 明治30年 39歳 雨宮敬二郎の仲裁で日本鉄道会社と和解する。
小高実業会を組織し、小高の青年を結集させた。
1898 明治31年 40歳 常磐線開設の土地買収を巡り告訴される。8か月未決留置され、その間、眼疾により、右目を失明する。
常磐線開通、小高駅開業、小高銀行設立、いぐさ栽培、相馬ゴザ織業計画と伝習に努める。
1901 明治34年 43歳 農村開発の新しいモデルとして夜の森開拓に着手。
1906 明治39年 48歳 代表著書『将来之東北』を発行。
1912 明治45年 54歳 磐城水電株式会社創立に力を尽くす。
国民党から立候補し、衆議院議員となり第1期目を務める。
1913 大正2年 55歳 小高銀砂工場を設立。
1915 大正4年 58歳 同志会から立候補し、2期目を務める。
1917 大正6年 60歳 憲政会から立候補し、3期目を務める。
1929 昭和4年 71歳 『農日本の研究』を発表。以後、「職業宗」の完成に没頭する。(没後発表)
1932 昭和7年 74歳 2月16日逝去。
この記事に関するお問い合わせ先

教育委員会 生涯学習課 埴谷・島尾記念文学資料館

〒979-2124
福島県南相馬市小高区本町二丁目89番地-1(浮舟文化会館)

電話:0244-66-1011
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