パブリック・アート ―金次郎像と野馬追騎馬像―(令和7年2月1日)

今回は南相馬市にある彫刻を中心とした「パブリック・アート」についての話題です。この言葉は、日本語に置き換えると「公共芸術」になります。道路や公園などの公共空間に設置された芸術作品のほか、作品を設置する取り組みも含めた呼称です。また、美術館の中で鑑賞する芸術作品と対比して「野外芸術」と呼ばれることもあります。本市の原町区では特に野外で彫刻作品を見かける機会が多いのではないでしょうか。
高橋洋作の裸婦像
原町高等学校旧校舎跡
いくつか例を挙げると、南相馬市役所西方の大木戸川にかかる道場橋の欄干の両端に沖村正康が制作した男女のブロンズ像(東向きの女性像の作品名は「朝」)があります。さらに、原町生涯学習センターの前庭には、高橋洋制作の凛とした裸婦像があります。これは、この場所にあった福島県立原町高等学校が昭和50年(1975)4月に、現在の原町区西町に移転したことを記念して、その跡地に、同校の同窓会によって昭和59年(1984)に建てられたものです。少し意外な場所としては、原町区の高松団地のバス停に、右手にクマの(たぶん)ぬいぐるみを持って小首をかしげている少女像があります。これは細野稔人の「春の譜」という昭和61年(1986)の作品で、当時の原町の団体や建築会社により建てられました。
細野稔人作「春の譜」
高松団地バス停
このように、パブリック・アートは、芸術を身近に感じることを意図して設置された芸術作品です。この考え方は1970年代に欧米から日本に取り入れられ、全国各地で彫刻作品を野外に設置する動きが広まりました。福島市のパセオ通りや仙台市の定禅寺通りなどでは数多くの作品を鑑賞することができます。
もう一つのパブリック・アートの目的として、何らかの社会的な意図を持たせるために芸術的要素のある作品を設置することもあります。この萌芽は、じつは日本ではずっと以前からあります。
岩手県盛岡市の萪内遺跡からは縄文時代の彫刻を施したトーテムポールのような木柱が出土しています。本市においては、平安時代から鎌倉時代に造立された摩崖仏、江戸時代に庶民に定着した野仏もこれにあたります。さらに社殿や堂宇に刻まれた彫り物にも芸術性を見出すことができます。ちなみに原町区本町の三嶋神社の旧拝殿を飾っていた「龍」と「唐獅子」の彫刻は、昭和45年(1970)、本市の有形文化財に指定されています。
近隣の市や町に目を向けてみると、相馬市日下石に鎮座する、昭和6年(1931)に発願された百尺観音は、全国の大観音造立の草分けともいえる摩崖仏ですが、高さ88尺(26m)の現在も4代目によって建造が続けられています。遠足や観光でお参りした方もいらっしゃるのではないでしょうか。近年では、令和2年(2020)、浪江町請戸の大平山霊園に、二本松市に出自を持つ彫刻家の橋本堅太郎の制作による像高2.4mのブロンズ製の母子像が東日本大震災の犠牲者の鎮魂と浪江町民の安寧を祈念してたたずんでいます。

戦後再建された二宮金次郎像
石神第一小学校
これらは宗教的な意味合いが第一義ですが、明治時代以降には、社会意識の醸成や啓蒙のための作品設置が出現します。それが二宮金次郎(尊徳)像です。至誠、勤労、一円融合などの考え方が当時の政治体制に都合よく利用され、昭和3年(1928)には各地の小学校に銅像が設置されました。金次郎は特定の意図をもって設置されたアート作品のさきがけになったのです。本市では、昭和10年(1935)に現在の太田小学校、同12年(1937)には石神第一小学校、石神第二小学校、大甕小学校にモルタルや青銅製の金次郎像が建てられました。しかし、太平洋戦争末期には、軍の金属不足に呼応して銅像は供出されてしまいました。戦後、報徳仕法は再評価され、今日では、金次郎像は当地域の歴史と文化の一側面を示すパブリック・アートとしてみることができます。
中村晋也作「翔」
南相馬市馬事公苑
当地方のもう一つの側面として国指定重要無形民俗文化財である相馬野馬追や馬に関わるアート作品をあげることができます。
ここで、はじめにあげるのは芸術性の観点からはアート作品とはいいがたいのですが、野馬追祭場地の御成参道入り口にある馬頭観世音の馬のモニュメントです。野馬追に出場したことのある亡き馬の霊を慰めるとともに出場する馬の平安を祈念し、昭和48年(1973)、施主中ノ郷騎馬会によって建てられました。ちなみに馬頭観世音の文字は第64・65代内閣総理大臣田中角栄の揮毫によるものです。
次に、平成7年(1995)、原町市は馬事公苑の完成記念として、同苑内に中村晋也の「翔」というペガサス像を設置し、馬事文化が地域プライドの一つであることを示しました。さらに平成17年(2005)、JR常磐線原ノ町駅前に亀谷政代司制作の騎馬像「出陣」を設置し、市民だけでなく来訪者にも、本市が野馬追の街であることを強く印象づけています。
亀谷政代司作「出陣」
JR常磐線原ノ町駅前
ほかに、原町区下江井の鶴江川にかかる野馬橋の欄干には某芸術大学の先生と学生によって刻まれた石像の馬の首や鞍が設置され、この地域の馬や野馬追とのかかわりを醸し出していました。この彫刻は、平成23年(2011)の東日本大震災の津波によって橋ごと流失してしまいましたが、市民の捜索により瓦礫や泥の中から馬の首2つが見つけ出され、現在は震災遺産として当館が所管しています。
これらの作品は、当地方の歴史と文化を映し出すパブリック・アートであるといえます。
(堀 耕平)

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更新日:2025年02月01日