梅干しのおもひで(平成27年9月7日)

梅干しを漬ける一連の作業のことを「梅仕事」と言ったりする。その呼び方は梅干しが私たちにとって大切なものであることを物語っているようだ。1年分の梅干しを手間と時間をかけてつくる工程は梅干しに対する慈しみが込められているようだ。
私が一番好きなのは、土用干しの梅干しだ。その名の通り土用に入ったら塩漬けにした梅を天日干しにする必要がある。それが「土用干し」だ。夏の盛りのこの時期に干された梅はあたたかく温(ぬく)められ、日に照らされた優しい匂いがする。私はこれを食べるのがとても好きなのだ。
幼稚園ぐらいの時、近所のおばあさんが家の軒先に干していたのを「食べてみな。」とくれた。それはとても美味しく、今でもあの味が忘れられない。まだ完成前の梅干しを食べるのは、特別な食べものを口にしたような気がした。
それ以来、私はあたたかな土用干しの梅干しが好きになり、自分の家でも祖母に「早く梅を干してくれ」とねだった。一年に一度、数日間のお楽しみの味である。


私には梅干しの思い出がけっこうある。高校時代、テレビで梅干し漬けの特集を見て本気で漬けてみたいと思った。翌日隣の席の子にその話をすると「私も漬けてみようかと思いながら見てた!」と言うのだ。渋い思考の二人が偶然隣同士になっていたらしい。「やっぱりあの茶色い甕に漬けないとダメだね。」など梅干し漬けへの憧れを語った稀有な思い出がある。彼女は覚えているだろうか・・・。
それから、竹の子の時期には皮に梅干しや梅じそをはさんでチューチューと吸ったりもした。私は今でもあれが好きで、機会があればやるようにしている。
そしてついに今年は私も梅仕事をした。楊枝で丁寧にへたを取る作業は地味だが楽しい。手塩にかけるというのはこういうことを言うのだろう。高校以来の「梅干しを漬けたい」という秘めたる想いが叶ったのである。とは言え、我が家では祖母が梅干しを漬けていたのでチャンスが無かったわけでははい。しかし私に時間の余裕が無く、他にやるべきことが色々とあり、結局出来ずにいた。
梅仕事には時間の余裕はもちろん、心の余裕も必要なのだろう。あるいは余裕を持つために梅仕事をするのかもしれない。それが梅干しを漬け終えた今、分かったことだ。
しかし私たちは、これまで飽きもせず毎年のようにこうした仕事を繰り返してきた。
生活を送るとはそういうことではないだろうか。ある哲学者は時間には2種類あるという。それは系統立てられ、年号を振られた数えることが出来る縦軸の時間と、循環し同じ季節を繰り返していく横軸の時間だ。生活を送るとは横軸の時間を紡いでいくこと、ぐるぐると糸車の糸のような暮らしをすることなのだろう。
そのような暮らしの中で梅干しは伝えられて来た。そう思うとなぜだかとても神々しい食べものに思えて来ませんか。
(川崎 悠)

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更新日:2024年04月01日