絵馬と野馬追 -馬に願いを託して-
絵馬は、新年の願掛けや合格祈願など、願いごとをするとき、そして願いがかなってお礼をするとき、神社や寺に奉納するものです。
相馬野馬追は、福島県の相馬地方を代表する、武家の伝統を受け継ぐ国指定重要無形民俗文化財です。
絵馬と相馬野馬追は、一見すると関係のないもののように思われるかもしれませんが、とても関係が深いものなのです。
野馬追とはそもそも何…?
野馬追は、相馬地方を治めた中村藩主・相馬家に由来する行事です。
江戸時代では、相馬家の年中行事として、原町区の市街地を包み込むほどの広大な牧「野馬追原」に放牧された“野馬”を“追う”、文字通りの野馬追を行い、小高妙見社(現:相馬小高神社)に野馬を追込み、野馬懸で捕らえ、神馬として神前に奉納する行事でした。
明治時代、中村藩が消滅すると相馬三社の神事として行われるようになりました。
野馬を追う野馬追が神旗争奪戦に変わるなど、主催者・祭礼の形に大きな変化を生じながらも、行事は現在まで継承されています。
野馬追のかたちが変わる中、野馬懸は、ほぼ変わることなく受け継がれている行事です。そして、この野馬懸こそ、絵馬奉納ととても深いつながりがあるのです。
江戸時代の野馬追と野馬懸
野馬懸『奥州相馬氏馬狩図』博物館蔵
江戸時代は、文字通り野馬を追い、追った野馬を捕らえて神前に奉納する行事でした。
野馬追に込められた祈り・願い
絵馬の歴史をご存じですか。
古代、神に生きた馬を奉納した習俗が起源とされ、次いで馬の代わりに馬形(土馬、木馬など)、さらに簡略化されて板に馬を描く絵馬が出現したとされています。
私たちが願いを込めて納める絵馬の原型は“生きた馬を奉納すること”。
すなわち、生きた馬を捕らえて神馬として奉納する野馬懸は、絵馬奉納の原風景と通じる行事なのです。
相馬地方を治めた歴代の殿様たちは、野馬懸で神馬を奉納するとき、どのような願いを込めていたのでしょうか。
天下泰平、領内安寧、領内安富(『相馬祥胤願文』より)。世の中の平和、領内が穏やかで繁栄すること、ひいては領民たちが幸せであることが殿様の祈願だったと記録されています。
その願いを神前に届けるため、毎年野馬追を行い、追った野馬を神馬として奉納していたのです。
野馬追は、勇壮な祭礼として知られていますが、その根底にあるのは戦いではなく、相馬地方とそこに住む人々を思いやる心です。
野馬追の姿かたちは時代によって変遷してきましたが、その思いは今でも受け継がれています。
野馬追は、地域の繁栄と安寧への祈り・願いが込められた、私たち相馬地方の住民にとって大切な行事なのです。
野馬懸での野馬取り行事
白装束の「御小人」たちが、素手で馬を捕らえる。1頭目に捕らえた馬が神前に奉納される。
野馬懸での上げ野馬神事
捕らえた馬を神前に奉納する神事。絵馬奉納の原風景を残す貴重な行事です。馬を奉納し、相馬地方の繁栄と安寧を願う「上げ野馬」こそ、野馬追の目的です。
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更新日:2018年12月25日