海を見ながら土に生かされて。 南相馬の自然が私を元気づける

更新日:2025年02月25日

ページID: 27317

海を見ながら土に生かされて。 南相馬の自然が私を元気づける

微笑む小原さん

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小原 風子   さん

おばら・ふうこ

 

2019年〜南相馬市鹿島区在住

 

福島県福島市生まれ

【18歳】:東京藝術大学日本画学科で学ぶために東京へ。そのまま首都圏で就職 →【27歳】父親の介護が必要になり福島市へUターン →【33歳】霊山のチルドレンズミュージアムで働く。同時期にサーフィンをはじめ仕事の前に毎朝福島から南相馬の海へ通う【37歳】南相馬市原町区へ引越し、児童館で働く →【39歳】東日本大震災発生により、福島市や新潟県村上市で避難生活。福島市から再び南相馬市に通うようになる →【40歳】南相馬市原町区のアトリエ兼住居に暮らし、霊山のチルドレンズミュージアムに再就職 →【48歳】南相馬市鹿島区に暮らし、絵や絵本の創作活動やワークショップをして暮らす

 

絵本作家

 

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「海で待ち合わせしましょう」と提案してくれた小原さんは、犬の散歩をしながら海岸に現れました。そこから車に乗って、くねくねと山道を登った先にあった彼女の自宅は、秘密の隠れ家のようなワクワクする空気に満ちていました。海とは目と鼻の先の距離なのに、静かな林の中に佇む小さな家は、小原さんがひと休みしていた創作活動を再び始めるエネルギーをくれたかけがえのない場所。ここで暮らすにいたるまでと、現在の日々について聞きました。

犬のお散歩をする小原さん
自宅から見える景色

南相馬との出会いは 「サーフィンのまち」として

ーー南相馬市には、どんなきっかけで暮らし始めたのですか。

 

風子さん:

ここ数年の南相馬での暮らしのきっかけは、いろいろなご縁が重なってのことなんです。でも、それ以前に東日本大震災の前、2008年頃に南相馬で暮らし始めたときは、パートナーが南相馬の人だったから。サーフィンを通じて知り合っていたのですが、海が近い場所で暮らしたくて私も引っ越してきました。私がここで暮らす大きな理由は、海ともいえます。

 

ーー子どもの頃から海が好きだったんですか。

 

風子さん:

昔は、どこに住んでいても、何かもっと違う場所で違うことをしている自分がいるんじゃないかなぁ!というような好奇心のような、そわそわした感じをずっと抱えていました。それがここ南相馬の海にいると心がすうっと落ち着いて、ここが私の生きる場所だなぁと思うようになって。泳ぐのも大好きだったから、大学生の頃は、海辺の街、葉山に住むのに憧れたこともありました。でも、父の介護が必要になったこともあって、27歳のときにUターンしてきたんです。

 

福島に戻ってからは、伊達市にある「りょうぜんこどもの村」で働いていました。ここは、日本で1番最初にできたチルドレンズ・ミュージアム。実家から40分くらいかけて車で通勤していて、さらに40分ほど車を走らせれば海という環境でした。

 

こどもの村で一緒に働いていた友人がボディボードを、私がサーフィンを始めよう!ということになって、33歳のときに初めてサーフィンをしたんです。そうしたら、「生きてきたなかで1番気持ちいい」と感じちゃって。今でも「クラゲみたいなサーファーだね」と言われるくらい下手なんだけど、浮かんでいるだけで、自分が溶けていく、海や空と一緒になっていくようなそんな感覚。海と一緒の粒々になるような……とにかく言い表せないような気持ち良さなんですよ。それから20年経って、最近10年くらいはたまにしか海に入っていないんですが、それでもサーフィンは私にとって特別ですね。

 

ーー初めて南相馬に引越してきたときは、どの地域で暮らしていたのですか。

 

小原さん:
昔無線塔があったあたり(原町区)にアトリエを最初は借りて住んでいました。2008年に南相馬に引越して来た当時は、波乗りを毎日していました。その後小高の児童館の臨時職員としても働いて、午前中は波乗りをして、午後から子どもたちとサッカーしたり虫とりしたりする生活をしていました。

窓の外を見る小原さん

手放したものをもう一度 自分にとって大切な2つの要素

 

ーー東日本大震災は、南相馬で経験されたのですね。

 

小原さん:

はい。最初は、福島の実家に避難したんですが、どうしても海の近くで暮らしたくて、新潟の村上市に避難しました。新潟の海にもすごく癒してもらったんですが、福島では海から日が昇るけれど、新潟では日が沈むんですよね。そういう景色を見ているうちに、やっぱり福島に帰りたい気持ちが日に日に強くなっていきました。

 

実家のある福島市に戻ってからは、南相馬の児童館で働いていたのが懐かしくなりました。また子どもたちと関わりたくて、1時間20分くらいかけて南相馬へ通っていました。そのきっかけをくれたのが、「ARTS for HOPE」という団体の活動でした。

 

震災後の子どもたちはいろんなところで我慢していた時期でした。大きな紙の上に、手足をめいっぱい使って、どろんこ遊びをするように絵を描く。一緒に体験をしたときには、嬉しくて思わず私が泣いてしまいました。久しぶりに、海に入ったときみたいな気持ちになれたんです。

 

握手したり、ベタベタ触り合ったりしながら、大きな声で叫んで。私自身も 久しぶりに絵に触れて、子どもたちと遊んで気付かされました。私の大切なことって、子どもと関わることと、絵を描くことなんだ、と。

 

小原さんの絵本
絵具

ーー現在は絵本作家としても活動されていますが、震災の経験がきっかけで絵本を書き始めたのですか?
 

小原さん:

美術大学を卒業してすぐの頃、絵本を描く人になりたいと思って、 「ボローニャ国際絵本原画展」に持ち込みをしたことがあるんですよ。そのとき、「君の絵本は詩的なのはいいけれど、絵本というのはこどもたちのイマジネーションを広げるものなんだよ」と言われて、落ち込んでそれっきりになっていました。

 

でも、震災後の子どもたちとのワークショップで、自分には絵を描くことが大切だと気づき、絵本作りに再び向き合いました。最初は2012年に『僕らの海』という絵本を100冊だけ。この本は、被災を心配した友達が送ってくれたお金を充てて制作したものです。

 

描いていたら、ずっと息が詰まっていたのにすっと呼吸できるようになって、3日くらいで一気に描き終えたときには、浄化されたような気がしました。

 

次の絵本は、自費出版の『もこもこ雲のテラドラゴン』(2015)。震災のとき離ればなれになってしまった児童館の子たちや福島の子どもたちに届くといいなぁと思い制作した絵本です。南相馬市内の児童館に置いてもらったら、昔児童館で私が一緒に遊んだ子どもたちにも読んでもらえて、とても嬉しかったです。

笑顔で話す小原さん

ーーふたつの大切なことのひとつ、「子どもと関わる」についても、何か変化がありましたか。

 

小原さん:
こどもの村でまた働くことになって、子ども向けのワークショップをやらせてもらっていました。1週間のうち3日はこどもの村で働いて、4日は絵を描いたり、波乗りをしたり。それが、すごくいいバランスだったんですけど、パートナーの病気などがあって、私ががんばらなくちゃと正社員になって……ちょっと働き過ぎちゃったんですよ。本当は自分で全部背負い込まずに、市や近しい人たちに相談したりすれば良かったのかな、と振り返ると思いますね。

 

でも、当時はとにかくがんばって働いていて、自分の絵を描く時間が上手くとれなくなったのが苦かったかな。それで結局、2023年の2月に仕事を辞めたら、そういうストレスはなくなって。絵本の挿絵を描く依頼にも応えられなくなっていたのが、やっと最近進められるようになってきたところです。

 

仕事は辞めたけど、子どもたち、おじいちゃん、おばあちゃんとワークショップをときどきやっています。組織に所属してやっていた頃より、少人数でゆっくり向き合えるような時間になっていて、そのペースがきっと私には合っているんですね。

 

豆を摘む小原さん
豆

映画『人生フルーツ』に刺激を受けて 家の周りを畑で囲んで

 

ーーお住まいが秘密の隠れ家みたいで驚きました。どうやって見つけた場所なんですか。

 

小原さん:
2019年くらいに当時相馬市にあったアトリエを引っ越さなくちゃいけなくなって、農家民宿「いちばん星」の星さんに相談していたら、「おもしろい絵描きのお姉ちゃんが困ってるんだけれど」と、 この家の大家さんに言ってくれたんです。大家さんはすごくおもしろい方で、震災の前は、海水を汲んできてここで塩を作ったり、蕎麦打ちをしたりして楽しんでいたみたいです。五右衛門風呂もあるし、もともととても楽しい場所なんですよ。

 

ーー大家さんが作った家自体に限らず、小原さんらしい明るいインテリアも素敵です。ここで暮らしたら楽しそうだなと思わされます。

 

小原さん:
自分のペースでやりながら暮らせているのは、大家さんの懐の広さのおかげ。親戚のおじちゃんみたいで、草刈りのついでに立ち寄って、「ちょっと寝かしてくれ」って、昼寝してくような関係です。

 

大家さんにとってもそうだったようですが、私にとっても元気を回復してもらった場所。ここにいるから絵が描けるとか、インスピレーションをもらってるということも、めちゃめちゃあるかもしれませんね。

 

実家のある福島市は、盆地だから空が丸い感じだけど、ここからは水平線が見えて、空が広い。部屋の中にいても、夕暮れで部屋中がオレンジ色になったり、朝焼けで真っ赤になったり。自然の空気を吸ったり吐いたりして、生きてる感じがすごくするんです。

 

ーー家の周りの畑も、小原さんの生活にとって欠かせないもののようですね。

 

小原さん:
生活も絵を描くことも、どうやってリズムを刻んでいけばいいかわからなかったときに出会ったのが、朝日座で上映していた映画『人生フルーツ』です。影響を受けて土をいじりだしたら、バランスが取れてきた感覚があるんです。
 

サーフィンは小波のときにちょっと遊ぶくらいで、ほとんどしていないんですが、海はこの家から毎日見ているんですよ。犬の散歩でも行くし、そのくらいの距離がちょうどいいのかなと思う。好きな場所だけれど、私にはエネルギーがまだちょっと強すぎるというか。今は土に触れているのが心地いいです。

 

家の周りの木の実や葉っぱを使って、ワークショップをするのも楽しい。私が教える立場のはずが、みんなが作るものを見ていると「作りたい!」という気持ちが湧いてくる。そうやって影響を受けるのが今はすごく楽しいですね。

 

いつかこの家をもうちょっと開いて、珈琲をのんだり絵を観たり描いたりワークショップしたりししながら、こどもたちや、ちょっと頑張りすぎちゃって充電したいなーって人たちが、ほっとひと息つける居場所のような使い方もできればいいなあなんて夢見ています。

 

犬を抱える満面の笑みの小原さん

(編集後記)

優しい空気をまとってゆっくりとおしゃべりする小原さん。素敵なおうち、畑、森、海とつながる自然……目の前に確かにある光景が、そのまま絵本の中にいるような雰囲気で、すっかりくつろいでしまいました。小原さんが身を置く環境や生み出すものは、きっと人が生きていくうえで不可欠なもの。特にちょっと弱った心も温かく包み込んでくれる場所が、南相馬市内に当たり前にあることを、あらためて感じさせてくれる時間でした。

 

テキスト:小野民/写真:鈴木宇宙

 

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