土器につけられた顔 (令和6年9月1日)

更新日:2024年09月01日

ページID: 26186
馬、甲冑姿の男の子、サンマ、カカシ、スズメと稲穂などのイラストが並ぶ帯状の画像
浦尻貝塚出土遮光器土偶頭部

写真1 浦尻貝塚出土遮光器土偶頭部

 縄文時代には粘土(ねんど)をこねて造形した「土偶(どぐう)」と呼ばれるひと(がた)が作られます。乳房(ちぶさ)の表現と突き出たお(なか)が特徴的で、妊娠した女性をかたどったものです。これから生命を産み出そうとする神にも等しい力に願いを込めて、あらゆる生命の再生を願うマツリに用いられたと考えられています。有名なものは東北北部を中心に、およそ3000年前(縄文晩期)に作られた「遮光器(しゃこうき)土偶」で、北方民族が用いていたまぶしさを(さえぎ)眼鏡(めがね)(遮光器)のような目が特徴です。この遮光器土偶の仲間と位置付けられる土偶の頭部が小高区の(うら)(じり)貝塚から出土しています(写真1)。

 一方、原町区の石倉(いしくら)遺跡からは写真2の「顔」が出土しています。高さ、幅ともに6.3センチメートルを測ります。こちらはおよそ5000年前の縄文中期に作られたもので、昭和43年(1968)に刊行された『原町市史』の中で竹島国基(くにもと)氏により、「土偶」と紹介されています。しかし、今回企画展「縄文みなみそうま」を開催するにあたってよく観察したところ、縄文中期の土偶の首の付けられ方とは異なることに気づきました。ろくろ首のように胴体から突き出るように伸びているのです。胴体はありませんので想像するしかないのですが、土偶であった場合、とても不自然なのです。そこで、この顔は土器の口縁(こうえん)と呼ばれる広い口の部分に付けられていたのではないかと考えました。

石倉遺跡出土人面把手

写真2 石倉遺跡出土人面把手

柳津町石生前遺跡出土人面把手

写真3 柳津町石生前遺跡出土人面把手

 所蔵:柳津町教育委員会
 撮影:小林宗一
 画像出典:奥会津デジタルアーカイブ

 Open OKURAIRI(https://openokurairi.net/)

 

調べてみると、県内の縄文中期の土器口縁部に人面(じんめん)把手(とって)と呼ばれるものが付けられる例をいくつか探すことができました。会津の山間部や郡山市や須賀川市に類例があるのです。特に柳津町の石生前(いしゅうまえ)遺跡のもの(写真3)は、これも顔面部だけの出土ではありますが、逆三角形の顔の輪郭、顔の表現の仕方、頭部の渦巻(うずまき)(もん)、側頭部の耳飾りの丸い表現までそっくりでした。また、柳津町の(いけ)()(じり)遺跡では人面把手が土器口縁部についたまま、しかも向かい合うように2か所につけられていました(写真4)。これらの「人面把手付土器」のいずれもが土器の口縁部に付けられ、その顔は土器の内部を見つめるかのように内側を向いているのです。

柳津町池ノ尻遺跡出土人面把手付土器

写真4 柳津町池ノ尻遺跡出土人面把手付土器

 所蔵:柳津町教育委員会

 撮影:柳津町教育委員会

 画像出典:奥会津デジタルアーカイブOpen OKURAIRI(https://openokurairi.net/)

 ここで、土器の役割について考えてみましょう。もちろん食料の煮炊きをする道具で、現代でいうお鍋といえます。では、土器で調理を始めます。土器の中には水が満たされます。シカやイノシシの肉やドングリ、クリ、トチノミなどの植物の実も入って、イモ類や山菜やキノコも入っていたでしょう。これらは人間が奪った自然界の生命(いのち)そのもの、つまり人間が死にいたらしめたものが食材なのです。火にかけられます。やがて水が温まると湯気(ゆげ)が上がりはじめます。煮立ってきました。中身はグツグツゴトゴトと音を立てはじめます。このようすは、一度生命を失ったものたちが息を吹き返し、声を上げはじめた、つまり土器の中で生命が復活、再生されたと、縄文人の目には映ったのではないでしょうか。出来上がった料理そのものが人間の生命を維持するエネルギーの(みなもと)ですから、まさに土器の中で死が生に転換されたわけです。生命の再生を見守り、見つめる精霊(せいれい)の顔が土器の口縁部に表現されたと考えられはしないでしょうか。

 土偶の場合、胴体と手足が表現されます。完全体なわけです。精霊は人間と同じ完全体であることでその秘めた力を出し尽くすことができると考えていたとすれば、土器に付けられた人面が頭部だけであることはこれも不自然です。池ノ尻遺跡出土人面把手付土器(写真4)には肩から伸びる腕と手の明確な表現があり、胴体は橋状(きょうじょう)の把手となりお腹の部分でいったん土器本体と接続し、足部分も橋状の把手となって土器上部の文様帯(もんようたい)を区画する横方向の線と同化しているような表現になっています。この表現は土器そのものが生命をはらんだお腹であり、手と足でお腹を抱えて守っているように見えるのです。中期縄文土器の文様は複雑で現代の私たちが読み解いていくことはとても難しいのですが、土器が生命を再生させる精霊の母胎(ぼたい)と考えることで、この複雑な文様の意味の一端に触れることもできるのかもしれません。

 もう一度、石倉遺跡の人面把手を見てみましょう。頭部に渦巻文、後頭部には連続した菱形文(ひしがたもん)(ばつ印の連続ともいえる)があります。その続きは分かりません。この再生をつかさどる精霊は粘土のひと形のままでは単なるモノですから何の力も発揮できないでしょう。その神秘の力はどこからか取り入れなければなりません。おそらくそれは再生の力を永遠に持ち続けている月の光から得たのではないでしょうか。そのエネルギーの受容体が渦巻文、そしてその力を土器内部に伝えるのが菱形文と読むこともできるかもしれません。

(森 幸彦)

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