相馬地方の巨人伝説・怪異伝説(令和6年2月1日)

更新日:2024年04月01日

ページID: 25039
馬、甲冑姿の男の子、節分の鬼やおたふく、雪だるま、手袋と帽子などが並ぶ帯状の画像

「進撃の巨人」というマンガやアニメが人気ですが、相馬地方にも巨人や怪異の伝説が残っています。

新地町の鹿()狼山(ろうさん)には、昔、鹿と狼を連れた手長明神という神様がいて、長い手を伸ばして海から貝を採って食べ、捨てた貝殻が貝塚になったという伝説があります。註1

相馬市山上(やまかみ)塩手(しおて)山には、昔、手長大明神という神様が山から手を伸ばして松川浦の魚や貝を採って食べていたという話が伝わっています。この付近には新生代第三紀中新世の塩手層が堆積していて、そこからは熱帯から亜熱帯の貝化石がたくさん産出します。註2

南相馬市原町区牛越(うしごえ)の牛越山にも手長稲荷神社があります。牛越山には手の長い猿がいて、手を伸ばして海から貝を採って食べていたという伝説があり、山のふもとから貝の化石を拾ったという方もいます。註3

こうした巨人伝説は日本各地に残されており、関東や東海地方では「ダイダラ法師(ぼうし)」「ダイダラボッチ」などと呼ばれています。たとえば、奈良時代の常陸(ひたちの)(くに)の地誌『常陸国風土記(ふどき)那賀(なか)郡(那珂(なか)郡:現在の茨城県の県中地域)の条には、手の長い巨人が食べた貝の塚や巨人の足跡・尿の跡が残ったという説話があります。註4 こうした巨人伝説は、神や英雄を主人公にした地方の国創り神話の変形と考えられています。

手長神社跡・新地貝塚(新地町小川)

手長神社跡・新地貝塚(新地町小川)

手長稲荷神社(南相馬市原町区牛越)

手長稲荷神社(南相馬市原町区牛越)

一方、小高区金谷(かなや)の山中には怪異伝説があります。江戸時代末の地誌『奥相(おうそう)()』には、山奥で大きな笊籬(いかき)(竹を編んだざる)のような頭の女の化け物が現れ、鹿を追って山に入った猟師の目の前で乱れ髪を地面に引きずりながら微笑み、猟師を恐怖に陥れたという話です註5。乱獲を続ける猟師を山の神が戒めたのだとされ、猟師は殺生をやめたそうです。金谷には「ザルカブリ山」という地名が残されています。

南相馬市小高区金谷字北釘野から 八丈石山・ザルカブリ山方向を望む

南相馬市小高区金谷字北釘野から

八丈石山・ザルカブリ山方向を望む

ざるの化け物(いかき)(男) 『大新板ばけ物ずくし』豊貞 明治時代 (国際日本文化研究センター蔵)

ざるの化け物(いかき)(男)

『大新板ばけ物ずくし』豊貞 明治時代

(国際日本文化研究センター蔵)

註1 新地町教育委員会『新地町史』自然・民俗編 1993年 P424

新地町教育委員会『新地町史』歴史編 1999年 P26~27

註2 相馬市『相馬市史』4 資料編1(奥相志)1969年 P257

相馬市『相馬市史』8 特別編1. 自然2015年 P21

註3 相馬市『相馬市史』4 資料編1(奥相志)1969年 P686

南相馬市『原町市史』民俗編 2006年 P498

南相馬市原町区西町の相良征一氏が子供の頃に祖父から聞いた話と体験談。

註4 『風土記』日本古典文学大系2 岩波書店 1967年 P76~80

註5 相馬市『相馬市史』4 資料編1(奥相志)1969年 P986~987

南相馬市『小高の歴史』民俗編2 山手の民俗 2010年 P77

(二本松 文雄)

馬、甲冑姿の男の子、節分の鬼やおたふく、雪だるま、手袋と帽子などが並ぶ帯状の画像
この記事に関するお問い合わせ先

教育委員会 文化財課 博物館

〒975-0051
福島県南相馬市原町区牛来字出口194

電話:0244-23-6421
ファクス:0244-24-6933
お問い合わせメールフォーム

このページに関するアンケート

より良いウェブサイトにするために、このページのご感想をお聞かせください。

このページの内容は分かりやすかったですか



分かりにくかった理由は何ですか(複数回答可)



このページは探しやすかったですか



探しにくかった理由は何ですか(複数回答可)