イナゴノスタルジー(平成30年11月1日)

秋の虫のイナゴ。「イナゴの佃煮」と言えば、最も有名な昆虫食ではないでしょうか。
多くの農村地帯で食されてきたイナゴの佃煮ですが、飽食の時代に育った若い世代は「わざわざ虫を食べるなんて!」と嫌悪感を抱く人も多いでしょう。しかし、「いやいや、イナゴは美味しい!イナゴが好きだ!」と言う人や、最近は食べていないけれど懐かしい思い出の味となっている人も多いはずです。
昭和60年代頃までは、学校行事で「イナゴ取り」がありました。子どもたちが稲刈り後の田んぼへ行ってイナゴを取り、それを売って学校の備品や学用品を買っていました。この辺で通称“ナゴとり"と呼ばれたその行事は、今でも当時の子どもたちの記憶にしっかり残っています。
“ナゴとり"には表彰制度があり、1等から3等くらいまで朝礼で表彰されました。それぞれ保護者お手製の布袋(手拭いを袋状に縫ったものが主流)に捕まえます。イナゴの足のトゲトゲが布に引っかかって入れにくいので入れやすいように、そしてイナゴが袋を開けた時に逃げないように、袋の入り口に竹筒を通す細工を施すなど、たくさん捕まえるための工夫をする子もいたほど。みんながいかに“ナゴとり"に全力であるかが分かるエピソードです。
田んぼを荒らさないようにイナゴは稲刈り後の田んぼで捕まえることが決まりでしたが、たくさん取りたいあまり決まりを守らず稲穂の中へ入っていく子もいました。そういう子は、いくらたくさん取ったとしても周りからブーイングを浴びていたそうです。
田んぼから学校へ戻って来ると、袋の計量が始まります。多い子は2キロも捕まえました。ここでも悪知恵のはたらく子がいるもので、重さを稼ごうと袋を水に浸けたり、土や石ころを入れて誤魔化す子もいました。しかし悪い事はできないもので、そういう悪事は先生にあっさり見つかってしまうのです。結局は叱られて反省文まで書かせられていたそうです。本当にみんな“ナゴとり"に必死だったんですね。
計量後はイナゴを大きな釜で煮て、それを売りに出しました。
“ナゴとり"は学校をあげての大事なイベントだったのです。


我が家でも祖母がイナゴの佃煮を作っていました。私自身は物事の分別がつく前までは食べたことがありましたが、それが何であるか分かってからは口にしていません。それでも小学校低学年頃までは網を持って田んぼへ捕まえに行った思い出があります。
捕まえたイナゴは手ぬぐいを縫った袋に入れ、そのまま2、3日置いてフンを出し、おなかの中を空っぽにします。夜になると、袋の中のイナゴがカサカサと立てる音が奇妙に家の中に響きます。
「じきにあのイナゴたちは佃煮になるんだ…。」その音を聞くと怖いのと可哀相なのが入り混じった複雑な気持ちになるので、なるべく聞かないように心がけました。
おなかが空っぽになったイナゴは、まず袋のまま沸騰したお湯の中へ入れてさっと茹でます。茹でられたイナゴは、湯上りでのぼせたようにほんのりピンク色に変わります。
次に袋から取り出して、足と羽を取り除きます。これをしないと食べた時に口の中で引っかかってしまうためです。
全て取り除いたら再び鍋で煮ます。煮ている最中は稲わらに似たような、草むらのような、独特の匂いが立ちこめます。その匂いはイナゴが田んぼで生きていたことを物語るかのような青臭さです。
水分が飛ぶまで煮たら、味付けです。砂糖、しょう油などで味を付けてカラカラになるまで炒ります。水分がなくなったら完成です。
タンパク質豊富で栄養満点の「イナゴの佃煮」…
昔のようにイナゴが簡単に見られなくなり、佃煮にするくらい取るのもなかなか大変ですが、人生の中で一度は、昔食べた人はもう一度、イナゴを食べることに挑戦してみてもいいのではないでしょうか。
(川崎 悠)


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更新日:2024年04月01日