変わりゆく養蚕道具―蔟(まぶし)―(令和7年6月1日)

(1)養蚕の盛衰

写真1 クワの葉を食べる蚕
かつて、南相馬市では養蚕が盛んでした。ご年配の方にお話を伺うと、自宅で養蚕をされていた思い出を教えていただくことがあります。
蚕がつくる繭から糸を取り、束ねたものが生糸(シルク)です。明治時代、政府が進める殖産興業政策のなかで、養蚕業は強く奨励されていきます。農家にとっても、養蚕は稲作よりも短い期間で現金収入に結びつくという利点がありました。そのため、明治30年代半ば(1900年頃)までに、市内の多くの地域で養蚕が行われるようになりました。その後、大正時代や昭和初期には、海外の経済状況による繭価の乱高下が繰り返されます。太平洋戦争が近づいてくると食料増産が優先され、養蚕は沈滞期に突入しました。戦後、復興が進むと養蚕も再開され、昭和30~40年代(1950年代半ば~1970年代)にピークを迎えます(註1)。しかし、昭和50年代後半以降には安価な化学繊維や海外産生糸の台頭に押され、養蚕は衰退していきます。令和7年(2025)現在、南相馬市内で養蚕を行っているのは1団体のみです。
今でこそほぼ消えてしまった養蚕ですが、当時使用されていた道具を調べていくと、めざましい技術発展の歴史がみえてきます。今回は、養蚕の発展を支えたさまざまな道具のなかから、蔟と蔟折機(製蔟機)に注目していきます。
(2)蔟(まぶし)発展史
写真2 蔟折機(明治)
蔟とは、蚕が一匹ずつ繭を作るように仕切られた、特製の巣のようなものです。十分に成長しきった蚕の幼虫を蔟に移す作業を上蔟といいます。上蔟は養蚕のなかでも特に大変な作業で、明治時代には上蔟が終わる時期に過労で倒れる人が続出したこともあったとか。
古くは粗朶(束ねた小枝)や小手縄などさまざまな材料で蔟が作られていたようですが、次第に藁を手折りした蔟が主流になっていきます。この折藁蔟は家ごとに収穫する繭の量に応じて、たくさん作られました。上蔟前には専門の職人が農家を回り、作っていったこともあったそうです。
写真3 蔟折機(大正時代)
明治後半には折藁蔟を作るための専用の機械(蔟折機)が普及します。蔟折機で作成した蔟を「バッタン蔟」とか、「ガッチャン蔟」といったそうです。機械を使うと1人でも1日200個くらいの蔟が作れたため、農閑期に作り貯めしておきました。
ちなみに、館蔵の蔟折機のいくつか(写真2,3)には、実用新案の登録番号が記されているものがあります。調べてみるとそれぞれ明治40年(1907)と大正8年(1919)に、愛知県在住の別々の考案者によって登録されていました。当時の養蚕の道具について、考案者が発明品として権利を主張し、製品として全国に広く流通していたことがうかがえます。
写真4 改良蔟
昭和10年代になると、革新的な「改良蔟」(写真4)が普及します。従来の蔟は使い捨てであり、養蚕のたびに必要量を作成する必要がありました。
改良蔟は専用の蔟編機を使い丈夫な編み込み構造を作ることで、繰り返し使えるようになりました。普段は折りたたんでしまっておけたため、あまりかさばることもありませんでした。
そして、昭和30年代には、蔟の完成形ともいえる回転蔟(写真5、6)が取り入れられるようになります。それまでの蔟は改良蔟も含めて藁製でしたが、回転蔟はボール紙と金属の枠組みで作られました。
写真5 回転蔟と蚕(5齢)
回転蔟の改良点は2点あります。1つ目は、蚕は繭を作る際、少しでも高い位置に上ろうとする習性を用いたものです。蔟自体が蚕の重みで回転するような構造にすることで、人が手を掛けずとも蔟全体に満遍なく繭ができるようになりました。
二つ目は繭の取り外し(繭かき)を機械でできるようになったことです。従来の折藁蔟では、蚕が繭を作るスペースが均一ではなく、藁そのものもあまり強い素材ではありませんでしたから、手作業でひとつひとつ繭を取り出す必要がありました。一方で、ボール紙で均質的に作られた仕切りを持つ新しい蔟は、機械にセットして連続で繭かきをすることができました。これは養蚕の効率化を大きく進める改良だったのです。
最初に触れたとおり、昭和30年代に訪れる養蚕の絶頂期は20年ほどで終わり、急激に衰退していきます。回転蔟が普及したのも昭和30年代ですから、非常に便利な道具であった反面、使われた期間はそう長くはありませんでした。
(3)養蚕道具は発明の宝箱
ここまで、蔟という道具について述べてきました。蔟は上蔟・繭かきという、何段階もある養蚕の一部分でのみ使う道具です。ほかの段階においても、それぞれ別の道具・機械が用いられていました。
そして、そういった道具の中にはやはり発明品として登録されていたり、作業の効率を格段に良くしたりしたものがいくつもあります。養蚕道具は、発明の宝箱なのです。
さて、令和7年6月現在、当館常設展内のミニテーマコーナー展示にて「養蚕の道具展」を開催中です。お近くにいらっしゃった際は、ぜひご覧ください。
(佐藤 義典)
註1
戦後、養蚕農家数が最大になったのは昭和40年代であるが、生産額は昭和50年代に最大になった。小規模養蚕農家の減少と並行して、養蚕業の集約(稚蚕飼育所の設置、桑園の造園など)が進められていたためである。
参考文献
小高町教育委員会編『小高町史』小高町刊 昭和50年12月
鹿島町史編纂委員会編『鹿島町史 第6巻 民俗編』鹿島町刊 平成16年3月
南相馬市教育委員会、原町区地域生涯学習課市史編さん係編『原町市史 第9巻 特別編2「民俗」』南相馬市刊 平成18年3月
伊達市教育委員会『伊達地方の蚕種・養蚕・製糸関連用具』 平成30年3月
ほかに蔟や蔟折機について以下の書籍・webサイトを参考にした。
日本民具学会編『日本民具辞典』ぎょうせい刊 平成9年5月30日
Webサイト「韮崎市民民俗資料館公式ブログ「にらみんのお散歩日記」まゆこさんに教わる「折藁蔟」づくり①~そもそも、「まぶし」って何?~」」平成27年3月25日
https://niramin01.blog.fc2.com/blog-entry-413.html(最終閲覧 令和7年5月20日)

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更新日:2025年06月01日