収蔵資料紹介(民俗資料)(令和8年8月12日)

更新日:2026年08月13日

ページID: 29552
馬、甲冑姿の男の子が並ぶ帯状の画像

 南相馬市博物館の収蔵資料のうち、民俗資料(おもに昔の生活や年中行事、祭礼、生業などに関わるもの)は約6,500件ありますが、その一部は十分な記録の作成が行われておらず、資料台帳の記録だけでは実物の形状や状態、そのほかの情報が読みとれない場合が多々ありました。そんな状況を改善するため、令和6年度冬季から、南相馬市文化遺産サポーターの方がたの協力のもと民俗資料整理を進めています。

 今回は、民俗資料整理の作業の中で再記録を行った資料を何点か紹介したいと思います。

(1)海にまつわる資料

写真1 地引網に関連する旗

写真1 地引網に関連する旗

 昭和30年(1955)頃まで、市内各地の浜で地引網が行われていました(注1)。地引網は、海岸近くまでやってきた魚の群れを網で包み込むようにして捕らえ、陸地から大人数で網を引き上げる漁法です。

 最初に紹介する資料は、そんな地引網に関連する旗です(写真1)。

 この旗について、資料台帳では、資料名は「大漁旗」であること、寄贈者は()(ざわ)(原町区南部の海に面した地域)在住の方であったこと(注2)、また備考には「小沢漁協大漁旗」と記録されていました。年代についての記載はありません。これらの記録と実物を比べてみると、いくつかの相違点が見受けられます。

 まず、旗の下部に書かれた「()(ばま)漁業組合」に注目してみます。この組合は旧(おお)(みか)村にあたる4つの浜((かい)(ばま)(しどけ)、小浜、小沢)の漁民が一緒になって作った組織です(注3)。そのため、寄贈者が小沢の方であっても、旗に小浜の漁業組合の銘が入っていることに不思議はありません。一方で、台帳に記載されている「小沢漁協」という組織は、本コラム執筆時点では存在を確認できていません。

 また、旗の上部には「新地引」、中央には「賞」とあります。「新地引」とは、戦後に36人の株主で再編制された地引網の組織を指していると考えられます。この新体制の地引網が、何らかの「賞」を得た記念に、この旗が作られたのではないでしょうか(注4)。

写真2 一貫丸の帆(戦前~昭和29年頃)

写真2 一貫丸の帆(戦前~昭和29年頃)

写真3 一貫丸の帆(昭和29年頃~昭和35年)

写真3 一貫丸の帆(昭和29年頃~昭和35年)

 ところで、大人数で協力して行う地引網に対して、一本釣りのような個人もしくは少人数で行う漁では、(いっ)(かん)(まる)(もしくは(てん)()(せん))と呼ばれる船が使われていました。

 2つ目に紹介する資料は、その一貫丸で使われていた帆(写真2・3)です。

 これらの2枚の帆について、資料台帳では同じ方から寄贈された資料であることと、それぞれの帆の使用時期が記録されています。写真2の帆は戦前の作成で、昭和29年(1954)頃まで使用したものです。写真3はその後から、使用者が漁師を引退する昭和35年(1960)頃まで使われていたようです。どちらも横3メートル、縦2メートル程度の大きさがあり、全体を撮影する際は3人がかりで広げるほどでした。

 実物を改めてよく観察すると、帆は丈夫な厚手の生地で作られていますが、継ぎはぎや補強の跡が見られます。強い海風を受けるなかで、破れてしまうこともあったのでしょうか。特に写真2の古い帆は継ぎはぎが多く、補修しながら大切に使われていたようすがうかがえます。

(2)製糸にまつわる資料

 博物館に収蔵されている資料には、民俗、歴史、自然などの分野ごとに、収蔵の順番に応じた登録番号が付されています。

 では、民俗分野の登録番号第1番の資料はどんなものでしょうか。それが写真4の()(くり)()(いと)(くり)()ともいう)です。座繰機は(かいこ)(まゆ)から引き出した糸を糸枠(写真5)に巻き取るために使う機械です。

 資料台帳には、「糸繰機二連式」という資料名のみが記載されていました。「二連式」とは、同時に2つの糸枠に糸を巻き取れる構造を指しているようです。

 収蔵庫から実物を取り出してみると、まず気になったのはシンプルな構造であることです。

 筆者が関東地方在住のときに写真で見たり、実物に触れたりしたことのある座繰機は、複数の歯車が組み込まれた複雑な構造をもつ、「上州座繰機」という種類のものがほとんどでした。

写真4 登録番号1番の座繰機。上部の横棒 を軸にして、糸枠をセットする

写真4 登録番号1番の座繰機。上部の横棒を軸にして、糸枠をセットする。

写真5 糸枠。中央の穴に座繰機側の軸 を通す。左は糸を巻き取った状態。

写真5 糸枠。中央の穴に座繰機側の軸を通す。左は糸を巻き取った状態。

 調べてみると、写真3のような座繰機は、福島県ではよく用いられていた「奥州座繰機」という種類であると分かりました。本体横(写真では右側)の円盤の部分と、本体上部の横棒の端にひもをかけ、機械全体に回転を伝える仕組みになっています。

 円盤の部分についているハンドルを実際に回してみると、糸枠の軸(上部の横棒)だけではなく、本体中央にある二枚の板も動き出しました。首を左右に振るような板の動きは、糸枠に巻き付けられる糸が左右均等になるために役立ったようです。

 もう一つ、座繰機を紹介します(写真6)。

 

写真6 座繰機。写真4とは構造が異なる。

写真6 座繰機。写真4とは構造が異なる。

写真7 座繰機(写真6)側面の刻印

写真7 座繰機(写真6)側面の刻印

 こちらも登録番号第1番のものと同じで、資料名が「糸繰機二連式」であること以外、記録はありませんでした。

 しかし、実物を観察してみると、第1番の座繰機とは異なる構造であること、側面に「請合 磐城浪江 関根小三郎」との刻印(写真7)があることが分かりました。浪町町の関根小三郎という人物(もしくは店)は、この座繰機の作り手と推測されます。他の座繰機とも比較・検討することで、関根小三郎オリジナルの工夫が分かるかもしれません。また、相馬地方(注5)で用いられていた座繰機のバリエーションや作り手について知るうえでも、大きなヒントになりそうです。

(3)民俗資料整理によって見えてきたこと

 民俗資料整理をしていると、1つ1つの資料が、多くの貴重な情報を持っていることが分かります。文字で書きこまれた内容はもちろん、補修跡や工夫された構造などは、資料そのものの理解を深めるだけではなく、当時の地域の暮らしのさまざまな側面を知る手掛かりになってくれるのです。

 また、整理活動に参加している文化遺産サポーターの方がたからも、思いがけず貴重なお話や思い出を教えてもらうこともあります。今回は資料紹介を中心に述べましたが、サポーターの方がたとの作業のようすや、教えていただいたいろいろな話も今後のコラムで紹介したいと考えています。

 この活動を通して得られた成果は、コラムだけではなく、展示や講座・体験学習でも活用していく予定です。ぜひ当館で資料(モノ)の背後にあるストーリーとの出会いを体験してみてください。

(佐藤義典)

注1 小沢では、後述する「新地引」が昭和40年(1965)年頃まで続けられた。

注2 小浜地区や小沢地区では、東日本大震災の津波で甚大な被害が発生した。南相馬市により広い範囲が災害危険区域(居住目的には適さない場所)に指定され、現在は無住地域になっている場所も多い。

注3 小浜漁業組合は明治36年(1903)年結成、昭和15年(1940)解消。旧大甕村を単位とした漁業組合は昭和25年(1950)まで存続した。なお、当時、小沢地域は小字扱いであり、組合の規約上では大字にあたる堤谷の地名で表記されている。

注4 「新地引」が編成されたのは昭和23年(1948)であり、小浜漁業組合は既に解消されている。注3で触れた実質的には同じ内容の組織が続いていた期間に、小浜漁業組合の名前が継続して用いられていたのだろうか。

注5 行政区分として用いられる相馬地方は、新地町、相馬市、飯舘村、南相馬市の4市町を指すが、ここでは浪江町や双葉町などを含む、地理的には南相馬市を中心とした範囲とする。

参考文献

・原町市史編纂委員会編『原町市史』 福島県原町市 昭和43年(1968)3月

・「ざくり【座繰】」 日本民具学会編『日本民具辞典』 株式会社ぎょうせい 平成9年(1997)5月

・南相馬市教育委員会・原町区地域生涯学習課市史編さん係編『原町市史 第9巻 特別編2「民俗」』 南相馬市 平成18年(2006)3月

・南相馬市教育委員会博物館市史編さん係『原町市史 第11巻 特別編4「旧町村市」』 南相馬市 平成20年(2008)3月

・伊達市教育委員会『伊達市文化財調査報告書第1集 伊達地方の蚕種・養蚕・製糸関連用具』 平成30年(2018)3月

馬、甲冑姿の男の子が並ぶ帯状の画像
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福島県南相馬市原町区牛来字出口194


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