端午の節句におもうこと(平成27年5月20日)

清々しい晴天のお天気が続くようになり、博物館の自席から見える木々は柔らかな緑色を身に纏い、生命力に満ち溢れている。山はすっかり笑い終わり、滴りはじめた。ついこの間までの肌寒い春の長雨はどこへやら2015年もようやく本腰を入れて暖かさを迎え入れたらしい。毎年この時季になると私たちがめぐる季節のただ中に身をゆだねていること、あるいはその一部なのかもしれないことに気づかされる。果たして新しい春がやって来たのか、それとも同じ春がやってきたのか・・・考え始めると出口のない無限のループに突入する。
今年も「かしわ餅」の貼紙を和菓子屋さんで見かけるようになった。「冷やし中華始めました」さながらの手書きの「かしわ餅」という文字を見ると、今年もまた“端午の節句”がやって来るんだなぁと感じる。
青空に悠々とたなびく鯉のぼり、初孫の誕生に大喜びでおじいちゃんおばあちゃんが贈る五月人形、折り紙で作った色とりどりのカブト、ゴールデンウィークに沸く巷、一家総出で行なう田植え・・・・・。
“端午の節句”というと皆さんは何を思い浮かべるだろうか?
私が思い浮かべるのは何と言っても「菖蒲湯」である。湯舟に浮かべた時の菖蒲の青々とした香りの記憶がよみがえる。

“端午の節句”は、邪気を祓うことから強い香りを放つ菖蒲やヨモギが用いられる。そもそも“端午の節句”は、厄や邪気を祓い清め健やかな一年を願う。また田植えの季節でもあり、豊作を祈る時期でもあるようだ。
当地でも5月5日には菖蒲湯に入り、その菖蒲で鉢巻をすると頭痛がしない、邪気を祓い除き、疲れをとるという謂れがある。もちろんかしわ餅も作って食べ、親戚などに配ったという。(参照:原町市史 第9巻 特別編 民俗)

さて、現代の日本で毎年菖蒲湯に入っている家庭はどの程度あるのだろう。我が家では私が物心ついた時はすでに始まっており、今も当然のごとく続いているので、菖蒲湯に入らないとこれから先の一年間を健やかに過ごせる気がしない。
菖蒲湯といえば私が高校生の時、家庭科の授業中に先生が「毎年菖蒲湯に入っている人は?」と質問したことがあり、その時手を挙げたのは私を含め2人であった。「あれぇっ、菖蒲湯ってそんなもの!?」と驚いたものだ。40人ほどのクラスの中でたったの二人。そもそも菖蒲湯に入ったことがないという子たちの方が多かったと記憶している。きっと今の子ども達はもっと少ないのだろう。
これはなかなかに由々しき問題ではないだろうか。5月5日は今や単なる祝日と化してしまったのか。イースターとか目新しい舶来の行事に飛びついている場合ではない。もちろん世界に目を向け、様々な思想や互いの文化を理解し認め合うことは大切なことだが、まずは己を知らなければならない。せっかく四季の移ろいを感じられる日本に生まれたのだから四季を愛でる心、折々の習わしや行事を楽しむ心を持っていたいものだと常々思うところである。日本の良き習わし、祝い事も捨てたもんじゃありませんよ。
(川崎 悠)

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更新日:2024年04月01日