疫病除けのお呪い(えきびょうよけのおまじない)―新型コロナウイルス 村から出ていけ!―(令和2年9月1日)

更新日:2024年04月01日

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馬、甲冑姿の男の子、ヒガンバナ、キンモクセイなどが並ぶ帯状の画像

新型コロナウイルス感染症の猛威は世界中に拡大し、日本でも再び流行が拡大していますね。

世界では昔から天然痘・コレラなど多くの疫病が流行して、災禍が世界中に広がりました。中世のヨーロッパで大流行した黒死病(ペスト)によるパンデミックでは、人口の1/3が亡くなり、社会が崩壊したといわれています。

日本でも古代から天然痘(疱瘡(ほうそう))やはしかが流行し、その後もたびたび感染が広がりました。祇園祭で有名な京都の八坂神社は牛頭(ごず)天王(てんのう)を祀り疫病除けをしたのが起源ともいわれ、平安時代には疫病除けの霊威で朝廷から庶民まで広く崇敬され、10世紀後半から御霊会(ごりょうえ)祇園会(ぎおんえ))が恒例になりました。現在では八坂神社は全国に3千社以上勧請され、各地の八坂神社や牛頭天王では、疫病除けにはじまる夏越(なごし)の神事として()()くぐりをしたり、キュウリを供える所が多くみられます。

牛頭天皇と立札の付いた赤い屋根の祠にキュウリが供えられている

牛頭天王に供えられたキュウリ

(南相馬市原町区江井)

茅でできた大きな輪の前で神楽舞を踊る二人の男性

八坂神社の茅の輪の前で厄除けの神楽を奉納

(南相馬市原町区益田)

江戸時代後期から明治時代にはコレラが流行しました。江戸時代末の大流行では、江戸で亡くなった人は10万人とも30万人ともいわれます。日本ではコレラの流行まで医学的な感染症対策はほとんどなかったため、昔の人たちは神仏に疫病退散を祈り、村の入り口に大きなわら人形を立てる、しめ縄を張る、お札を貼るなどのお呪いをしました。このような風習は、現在でも日本各地で見ることができます。

田村郡船引町のお人形様は高さ約4メートルもあるわら人形で、疫病除け・魔除けの神様として江戸時代から旧磐城街道沿いに立って村を守ってきました。

相双地方では村境に人形をまつる風習は見られませんが、村(現在の大字)境の辻(交差点)に竹に挟んだ神仏のお札を立てたり、神楽を舞って悪疫退散を祈願する所が多くあります。

木の階段を上った所にワラや木の枝で作られた人型の人形が置いてある

屋形のお人形様(田村市船引町屋形)

道端に木の棒が長いのと短いのと2本立ててあり、どちらも先端に白い布のお札がついている

辻祈祷のお札(南相馬市鹿島区大内)

新型コロナウイルス感染症の流行で、日本中でアマビエ(本来はアマビコ)という人魚の霊獣(妖怪)が疫病除けにご利益があるとして人気です。富山県立山のクタベという霊獣も、その姿を見たものは災厄から逃れられるとか、その姿を書き写して人々に見せると難を逃れられるといわれ、こうした霊獣の話は各地にみられます。

最近のかわいいアマビエ形のお菓子やお守りの流行は、新型コロナウイルス感染症に対抗する現代人の遊び感覚のお呪いですね。

(二本松 文雄)

馬、甲冑姿の男の子、ヒガンバナ、キンモクセイなどが並ぶ帯状の画像
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