月見と月待(つきまち)信仰(令和4年10月1日)

十五夜
十五夜は陰暦(旧暦)8月15日の満月の夜のことで、今年は新暦の9月10日でした。皆さん月見はしましたか。
十五夜の月見は花瓶にススキを飾り、団子・芋・枝豆・酒などを供え、月をめでる習俗です。月見は奈良時代に中国から伝来して貴族のあいだで盛んになり、鎌倉時代に武家や庶民に広まったといわれています。
福島県のいわき市や中通り地方南部などでは「お月見どろぼう」といって、月見の供え物はよその家から取ってきてもよいとされ、子供たちが供え物をもらい歩く風習があります。
暦と年中行事
月見のような、人びとの生活に密着した年中行事は、元来、陰暦(旧暦)で行われてきました。
陰暦は6世紀頃に中国から日本に伝わり、明治5年(1872)まで用いられたもので、月齢(約29.5日周期の月の満ち欠け)を基準とした暦です。
しかし、明治政府は欧米諸国にならい、太陽の運行周期を基準とする太陽暦(新暦)に改め、現在に至っています。このため、現在の年中行事は旧暦や新暦で、あるいはそれらに近い土曜日や日曜日に行われるようになり、入り乱れています。
二十三夜
十五夜は月の出を待って満月を拝む信仰でした。これを月待信仰といいますが、しだいに下弦(注)の十九夜・二十三夜などにも月待が行われるようになりました。二十三夜は16世紀頃には公家社会で行われ、やがて月待信仰の代表的なものになりました。二十三夜にはおもに女性が集まり、二十三夜講を催しました(三夜様とも呼ばれた)。二十三夜講は月の出を待ち、勢至菩薩を礼拝して出産や子育ての安全を祈る、主婦たちの憩いの場でもありました。二十三夜講の記念に石塔(二十三夜塔)を建てることもしばしばありました。市内には二十三夜塔が多く残っており、その造立は18世紀初期から始まり、文化・文政年間の19世紀初期に多く見られます。

二十三夜塔 鹿島区鹿島 秋葉神社 寛政8年(1796)
「二十三夜塔」の文字の上に、勢至菩薩を表す梵字「サク」が記されている。

三日月塔 原町区上高平 綿津見神社
月待信仰の塔は十九夜塔や二十三夜塔などが多く、三日月塔は珍しい。裏に「連中」(講のような仲間)と造立者が記されている。
空気の澄んだ秋の夜長、月を眺めて、日本の伝統的な風習に思いを巡らせてみませんか。
(注)下弦の月:月の下旬に見える、満月から新月の間の月。夕方頃はまだ見えず、深夜頃にようやく地平線から昇ってくる。
上弦の月:月の上旬に見える、新月から満月の間の月。昼頃に見え始め、夕方頃に最も見やすく、深夜に地平線に沈む。
(二本松 文雄)

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更新日:2024年04月01日