野馬追といえば・・・雨?(平成28年6月1日)

更新日:2024年04月01日

南相馬市のキャラクター郷くんとノマくんのイラスト

 毎年7月最終土曜日・日曜日・月曜日に開催される相馬野馬追。今でこそ野馬追といえば「真夏」とか「炎天下」といった言葉がピッタリの、とにかく“暑い!”というイメージですよね。でもこのイメージ、野馬追の長い歴史の中でも、まだ50年くらいの歴史の浅いものです。実はそれ以前はどちらかと言うと「雨の野馬追」だったんです。

雨の日が多かった、チョッと昔の野馬追

明治時代後期、雨でぬかるむ道を進む騎馬武者行列の写真

雨でぬかるむ道を進む騎馬武者行列
(明治時代後期)
これぞチョッと昔の野馬追のイメージ!7月はじめ~中ごろに行われていた頃の野馬追は、このような悪天候下で開催されることが多くありました。

 江戸時代の野馬追の日程は旧暦五月中の申の日(今の6月下旬~7月はじめくらい)でした。そして、明治時代になって旧暦が新暦に変わった後、明治7年(1874)から野馬追の日程は7月1日~3日へと変わりました。
 しかしこの時期といえば、まだまだ梅雨の真っただ中。当時の新聞に「相馬の野馬追祭といえば毎年降雨だ」という記事が残っているように、今の野馬追とは真逆の、どんより空と雨が付き物。とにかく「野馬追といえば雨!」というイメージだったんです。ちなみに、「2日目の野馬追の日はザーザー雨が降るが、3日目の野馬懸の時は不思議といい天気になる」というジンクスもあったんだとか(当時の新聞の記事)。

 この悪天候下での野馬追を何とかしようと、明治37年(1904)には日程を10日繰り延べて7月11日~13日へ、それでも悪天候が続くので昭和36年(1961)には7月16日~19日へ、そして、昭和41年(1966)さらに1週間延ばして7月23日~25日へ日程をずらした頃、ようやく梅雨明けの晴天下での野馬追が安定的に開催されるようになって、「真夏の○○」というフレーズがピッタリの野馬追になったわけです。
 暑すぎるのも困りますが、毎年のように雨が降るのも・・・きっと大変だったでしょうね。

神旗の色と雨の野馬追

 明治時代にはじまった行事「神旗争奪戦」。上空に打ち上げられた相馬三社(相馬中村神社・相馬太田神社・相馬小高神社)の神旗を騎馬武者たちが奪い合う勇壮な行事として、現代の野馬追の呼び物になっている競技です。奪い合う神旗の色は、中村神社が青・太田神社が赤・小高神社が黄と決まっていますが、かつて中村神社の旗の色は青ではなく「白」でした。
 ではなぜ、中村神社の神旗の色が、白から青に変わったのでしょう?それは、梅雨明け前に野馬追が開催されていた頃、雨天や曇天のもとで上空に神旗を打ち上げると、白い旗はどんよりしたグレーの空の色に溶け込んでしまって、見えにくくなるという欠点があり、いつの頃からか、どんより空でも中村神社の神旗が見やすいように、白から青に変わったと伝わっています。
 かつて、いかに悪天候の中で野馬追が行われていたのか、それをあらわすエピソードの一つですね。

小高神社、太田神社、中村神社、3社の神旗の写真

現在の神旗
かつて中村神社の旗の色は青ではなく白でした。

曇り空下で中村神社の青い神旗の「神旗争奪戦」の写真

空から舞い落ちる中村神社の青い神旗
たしかに、このようなグレーの空の色で、白い神旗は見えにくかったかもしれません。

(二上 文彦)

南相馬市のキャラクター郷くんとノマくんのイラスト
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