6年越しの地元初公開!野馬追絵巻(平成29年7月1日)

今年の野馬追まであと少し、街中でも野馬追ムードが高まってきましたね。南相馬市博物館でも毎年野馬追にちなんだ特別展を開催していますが、今年の展示会のテーマは「武士(もののふ)の備え」です。ここでは、その展示会で地元初公開となるメイン資料『野馬追備列絵巻』を中心に紹介します。

地元初公開の『野馬追備列絵巻』
野馬追での「備(そなえ)」とは
絵巻の紹介の前に、まず「備(そなえ)」とは何かを紹介します。
野馬追でいうところの「備」とは、江戸時代の藩の軍制に基づいて、騎馬武者や足軽など数百人で編成された部隊(写真1)のことです。イメージとしては、時代物のドラマ・映画の合戦シーンでよく見る、鉄砲隊を先頭に、足軽や騎馬武者が整然と並んだ部隊を想像するとわかりやすいかと思います。
野馬追では4~7組程の備が編成されました。相馬の武士たちは各備に配置され、それを率いる頭(かしら)(殿様・侍大将等)の指揮のもと、野馬追にのぞみました。
今の野馬追に出馬する武者たちは、昔の行政区にちなんだ「郷(ごう)」に所属して行動しますが、江戸時代の野馬追は「備」に所属して行動した、ということです。
整然と並んだ、数百人からなる備が繰り広げるスケールの大きい野馬追は、当時の人々から多くの称賛を受けました。

写真1 描かれた「備(そなえ)」
『野馬追大絵巻』(ガラス乾板:佐藤重郎氏蔵)より
足軽を先頭(左側)にして、騎馬武者や徒士武者数百人が整然と並んだようす。江戸時代の野馬追は、今の野馬追をはるかに凌ぐスケールの大きさでした。
『野馬追備列絵巻』
展示会のメイン資料となる『野馬追備列絵巻』は全5巻です。野馬追で編成された5つの備ごとの軍列のようすが描かれていて、5巻あわせて全長43メートルにおよび、全部で751名もの人物が描かれています。
武者たちが一人ひとり個性的で、装束なども細やかでキレイに描かれていることに加え、この絵巻最大の特徴は、描かれた騎馬武者36名の上部に、中村藩実在の武士の氏名が記されているところです。それによって、いつの野馬追を描いたものかが推測できます。また、背負っている旗印もほぼ正確に描かれているので、史料的価値が高い絵巻といえます。
今後の野馬追研究や、野馬追保存に欠かせない資料となることは間違いありません。

五色旗と勝軍地蔵旗

9代中村藩主・相馬祥胤の子息「亀丸殿」と「尚之助殿」
6年越しの地元初公開
『野馬追備列絵巻』は、もともと京都の井伊達夫さん(京都井伊美術館長)が所蔵していた絵巻物です。私たちがこの絵巻を京都で初めて見たのは、今から7年前の2010年のこと。新たな発見に驚いたと同時に、「いち早く相馬地方の皆さんに見ていただきたい!」と、翌2011年7月から当館で開催予定だった展示会に、お借りして初公開する予定でした。
しかし、ご承知の通り2011年3月に震災・原発事故があり、特別展の開催どころか博物館そのものが休館し、絵巻物の公開もまぼろしとなってしまいました。同年9月に博物館は再開しましたが、展示できなかったこの絵巻の存在は、心にずっと引っかかったままでした。
しかし、震災から6年が過ぎ、一歩ずつ南相馬が復興の道を進め、野馬追も震災前の規模に近づいてきたなか、今年、井伊さんのご厚意によって南相馬市博物館へ絵巻をお譲りいただき、実に6年越しの公開が実現することになりました。
この絵巻によって、今まで知らなかった野馬追の歴史が、また一つ紐解かれようとしています。ぜひ展示会に足をお運びいただき、その歴史の奥深さや、今では見ることができない大スケールの野馬追を感じていただければと思います。

藩主相馬家一門・御一家の「堀内大蔵」の列
特別展「武士(もののふ)の備え」は7月1日(土曜日)~8月20日(日曜日)まで開催しています。
(二上 文彦)

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更新日:2024年04月01日