「本陣山」のお話し(平成30年6月1日)

更新日:2024年04月01日

南相馬市のキャラクター郷くんとノマくんのイラスト
本陣山

本陣山

 相馬野馬追の雲雀ヶ原祭場地と博物館の間にある「本陣山(ほんじんやま・原町区牛来字出口)」は、文字通り“大将が本陣を構える山”という意味から名付けられた山で、野馬追のときは山頂に総大将が陣取り、相馬三社(太田・小高・中村神社)の神輿が置かれます。
 野馬追に欠かせない山として、地元ではとても馴染み深い場所ですが、意外と知られていないエピソードを持っています。ここでは本陣山にまつわるいくつかのエピソードを紹介しましょう。

今とむかしでは本陣山の場所が違う

 今でこそ「本陣山」として知られる山、もともとは「牛来(ごらい)山」という名前で、江戸時代の本陣山(以下「旧本陣」)は別の場所にありました。
 旧本陣は、今の本陣山より約1キロメートル北側の小高い丘(原町区橋本町2丁目)でした。当時は原町区の市街地全域が祭場(「野馬追原」という馬牧)だったので、全域を一望できた旧本陣は、野馬追の指揮をとるのに好都合な場所でした。しかし明治時代以降、野馬追の姿かたちが変わり、祭場も縮小して現在の雲雀ヶ原になったことから、雲雀ヶ原に接する牛来山が「本陣山」になったというわけです。
 雲雀ヶ原を見渡せる、今の本陣山からの眺めもなかなかいいですが、旧本陣も展望スポットとして整備されているので、ぜひ登ってみてください。江戸時代の広大な祭場「野馬追原」のスケールを垣間見たり、野馬追の指揮をとっていた殿さま気分を味わえます。

江戸時代の本陣山(旧本陣)から見た原町区

江戸時代の本陣山(旧本陣)から見た原町区

原町区全域を見渡せる旧本陣。野馬追の指揮をとっていた殿さま気分を味わえます。

本陣山の「お手植え松」

本陣山の山頂のお手植え松と記念碑

本陣山の山頂のお手植え松と記念碑

 今年6月10日、第69回全国植樹祭が南相馬市で開催されます。式典会場では天皇皇后両陛下によるお手植え・お手まきが行われますが、今からちょうど110年前の明治41年(1908)にも、お手植えがあったことをご存知でしょうか。
 お手植えをしたのは、皇太子・嘉仁親王(よしひとしんのう・のちの大正天皇)。本陣山の山頂に親王がお手植えしたというマツの木が残っているのです。これは、同年に嘉仁親王が東北地方を巡幸し、10月9日原町に立ち寄って臨時野馬追を見学したときにお手植えされたものと伝わっています。
 親王の原町行啓と野馬追台覧を、地域住民は熱狂的に歓待し、臨時野馬追には、例年を超える数の騎馬武者が参加しました。本陣山の御座所に着座した親王の台覧のもと、いつもより大規模な野馬追行事が繰り広げられ、興味を持った親王自ら手帳にメモを取ったり、写真を撮影させたといいます。
 この皇太子台覧野馬追は、地元にとって大いなる名誉だったので、野馬追の日程を台覧の10月9日に変更する案も浮上し、実現寸前まで話が進んだほどでした。
 本陣山にひっそりと立つお手植え松から、そんな熱狂的なムードの名残を感じていただけたらと思います。

(二上 文彦)

皇太子台覧野馬追記念絵はがき

皇太子台覧野馬追記念絵はがき

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