亀井文夫
かめい・ふみお
生没年:明治41年(1908)~昭和62年(1987)
ドキュメンタリー映画監督
相馬郡原町(現南相馬市原町区)に生まれる。留学先のソビエトで見た映画に感動して映画を学び始め、帰国後『支那事変後方記録 上海』(1938年)など表現豊かな記録映画を制作し評価される。発表作品が当時の国の方針と合わず、1941年に映画界でただ一人、治安維持法違反容疑で検挙される。
戦後は『日本の悲劇』がGHQによって上映禁止されるなど不遇の時期もあったが、独立プロを立ち上げて全国の軍事基地を取り上げた『基地の子たち』や原爆をテーマとした『生きていてよかった』などの作品を精力的に発表する。生涯にわたり戦争や核問題、差別、経済成長による社会の歪みなどについて注目し、作品は高い評価を得た。
参考文献:亀井文夫『たたかう映画―ドキュメンタリストの昭和史―』岩波書店(1989)
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更新日:2024年04月01日