半谷絹村

更新日:2024年04月01日

はんがい・けんそん

生没年:明治20年(1887)~昭和35年(1960)

俳人、実業家

本名、半谷清造。相馬郡小高町(現南相馬市小高区)に生まれる。

俳句活動に積極的で、1924年長谷川零余子(れいよし)の『枯野』に投句する。零余子没後は長谷川かな(じょ)主宰の『水明(すいめい)』に参加し、小高水明会を創立するなど『水明』の発展に力を尽くす。町内では『俳句通信』の発刊をはじめ、大曲(おおまがり)駒村(くそん)、渡辺(すい)()など数多くの俳人や作家を自宅に招き、小高の文化活動を推進した。

農民の経済・社会的な地位と生活改善を目指す活動にも注力し、日本最初の日本農民組合(日農)設立にあたって、小高を代表して設立発起人に名を連ねた。

参考文献:『おだかの人物』おだかの歴史 特別編1・人物編(南相馬市)

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福島県南相馬市原町区牛来字出口194


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