富田高慶

とみた・たかよし または とみた・こうけい
生没年:文化11年(1814)~明治23年(1890)
農村再建指導者
宇多郡中村(現相馬市)で中村藩士の家に生まれる。藩命により疲弊する藩の再建方法を探す中で二宮尊徳の報徳仕法に出会い、二宮に弟子入りして高弟(弟子の中でも特にすぐれた者)となる。
報徳仕法は、投票による善行者表彰、お金・農具の褒美、家の建築や屋根替え、困窮者への食料付与、無利息年賦金の貸付け、荒地開墾や植林の奨励、堤・用水堀の新築・修理、橋や道路の建設などからなる。富田は中村藩で二宮尊徳の代わりに報徳仕法を指導し、農村と藩の立て直しに大きな成果をあげた。
二宮尊徳の死後、高慶はその教えを広めるため『報徳記』や『報徳論』を著わした。そして明治維新後は石神村に移住していた二宮家(現在の石神生涯学習センター)の世話をするためその東隣に移住し、76歳で亡くなるまで二宮家と報徳仕法に対して力を尽くした。
参考文献:報徳仕法南相馬市版(改訂版)『二宮金次郎・富田高慶からの贈り物』
写真:「富田高慶座像」南相馬市博物館所蔵
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更新日:2024年04月01日