平田良衛

ひらた・よしえ
生没年:明治34年(1901)~昭和51年(1976)
農村開発者
相馬郡金房村(現南相馬市小高区)に生まれる。
東京帝国大学文学部独文科を卒業後、プロレタリア科学農業問題研究会ドイツ語教師を務め、「日本資本主義発達史講座」の企画・編集を担当した。
共産党に入党し、1932年に治安維持法違反で逮捕され4年投獄される。出獄後、活動が制限される時代に、小高で論文を執筆しながら農村の生活を改善したいとの思いで『農村だより』を発行する。戦後は日本共産党福島地方委員会の初代責任者を務めた。
後半生は引揚者等救済のため、金房村の開拓事業に力を注ぐ。金房村開拓組合の入植十周年記念には、高村光太郎の詩「開拓十周年」の碑を建てた。
参考文献:『おだかの人物』おだかの歴史 特別編1・人物編(南相馬市),柴田哲雄「甦る平田良衛―南相馬市小高区に根差した抵抗者の軌跡―」(『愛知学院大学教養部紀要』 第64巻 第1号)
写真:埴谷・島尾記念文学資料館所蔵
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更新日:2024年04月01日