鈴木安蔵

すずき・やすぞう
生没年:明治37年(1904)~昭和58年(1983)
憲法研究者
相馬郡小高町(現南相馬市小高区)で鈴木良雄(余生)の子として生まれ、第二高等学校を経て京都帝国大学文学部哲学科に入学する。
学内でマルクス主義に触れる中で、社会の矛盾に本格的に取り組むことを決め、経済学部に転部する。
大学での活動が治安維持法違反とされ、「日本学生社会科学連合会事件(学連事件)」で逮捕、日本で初めて同法違反で有罪判決を受ける。大学を自主退学した後、獄中で憲法学、政治学を研究する。
安蔵の研究によって日本の憲法学は解釈術学から社会科学の水準まで高められ、戦後の日本に多大な影響を与えることとなる。GHQは『日本国憲法草案』を起草するにあたり、安蔵の改憲草案『憲法草案要綱』を参考とした。
参考文献:『おだかの人物』おだかの歴史 特別編1・人物編(南相馬市)
写真:埴谷・島尾記念文学資料館所蔵
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更新日:2024年04月01日