杉山元治郎

更新日:2024年04月01日

杉山元治郎肖像写真

写真提供:東北学院史資料センター

すぎやま・もとじろう

生没年:明治18年(1885)~昭和39年(1964)

社会運動家

大阪府日根郡下瓦屋村(現泉佐野市下瓦屋)に生まれる。

大阪府立農学校農科(現大阪府立大学農学部)に給付生として入学し、最新の農業技術を学ぶ。この頃、キリスト教に関心を抱き、日本基督協会大阪南教会(現日本基督教団大阪南吹田教会)に通い、洗礼を受ける。

卒業後は和歌山県農会技師となったが、伝道生活に入ることを決意して農会をやめ、仙台の東北学院神学部別科に学び、牧師となる。

明治43年(1910)、小高教会に赴任し、農村伝道を始めた。保守的な町での伝道は思うにまかせなかったが、農業の知識と技術が小高の農民との交流に役立った。杉山は報徳仕法でもモノにならなかった農地で成果を挙げ、独立自給伝道に入った。さらに、私立の小高農民高等学校を設立し、農業技術・農業経営や農村経営について講義し、この地方に近代農業を普及するとともに、大正デモクラシーの風潮を起こした功績は大きい。

また、農機具の開発でも画期的な貢献をしている。杉山式互用犂という田畑を馬耕する際に土をすき起こす向きが反転できる改良犂の考案だった。

やがて、杉山は農民と接触する中で、農民の土地と自由のために大正デモクラシーの実践的体現者として活動を始めた。杉山は再三の誘いから大正9年(1920)に小高を離れて大阪に移ったが、社会問題や救貧策を研究し、日本農民組合を創設した。その後、全国農民組合中央執行委員長、衆議院議員、衆議院副議長を歴任した。

参考文献:『おだかの人物』おだかの歴史 特別編1・人物編(南相馬市)

『大正デモクラシーと東北学院』―杉山元治郎と鈴木義男― 岩本由輝ほか 学校法人東北学院

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