国史跡「浦尻貝塚」について

更新日:2024年02月15日

 「浦尻貝塚」の発見は古く、1901(明治34)年に大野延太郎氏が報告しています。その後、福島大学学生考古学会や小高町教育委員会などによる度重なる調査を経て、2006(平成18)年に国史跡に指定されました。
 本来であれば、2013(平成25)年に史跡公園として開園する予定でしたが、2011(平成23)年3月11日の東日本大震災により、事業が一時中断となりました。
 2016(平成28)年より事業が再開され、2024(令和6)年9月の開園に向けて現在整備を進めています。

浦尻貝塚の特徴

 浦尻貝塚は、海を見晴らすことができる高台にあり、約7ヘクタールもの面積がある大規模な縄文時代の集落遺跡です。集落は、5700年前~2800年前(縄文時代前期~晩期)の約3000年にもわたる長い期間続いていました。集落には貝塚がともない、住居やお墓、木の実などを蓄えておく穴(貯蔵穴)などが見つかっています。
 特に、浦尻貝塚は、集落が続いた3000年の間に蓄積された、当時の自然環境や縄文時代の文化内容の変化など、縄文時代の解明につながる情報が多く残されていることが評価されています。

貝塚について

 貝塚とは、縄文人が食べた貝がらや魚の骨、動物の骨をムラの周囲に捨て続け、やがてそれが塚のように積み重なったものです。
 普通の遺跡では、魚や動物の骨などは酸性の土によって溶けてなくなってしまいます。しかし、貝塚では、貝のカルシウム分が土中に溶け出し、土をアルカリ性に変えるため、魚や動物の骨が溶けずに残り、発掘調査で見つけることができます。そのおかげで、縄文人の食生活や狩りの様子などを具体的に知ることができるのです。
 浦尻貝塚では、4か所で貝塚が確認されており、公園内にある「貝塚観察館」では、5500年前~5000年前(縄文時代前期~中期)の約500年間絶え間なく積み重ねられた「台ノ前北貝層」の一部を展示しています。

アサリの貝がら

イノシシの下あごの骨

うらこちゃん

 浦尻貝塚から出土した土偶で、約3000年前(縄文時代晩期)に作られました。土偶は、女性が表現されることが多く、安産祈願や生命再生の願いなど、祈りの道具として使用されたと考えられています。
 この土偶は、北東北に多くみられる遮光器土偶の仲間ですが、本場の遮光器土偶と比べると、まるで見よう見まねで作ったかのような、つたない作りをしています。見た人をくすっと笑わせてしまうようなユーモラスな見た目から「うらこちゃん」の愛称で親しまれている、当公園のイメージキャラクターです。

この記事に関するお問い合わせ先

教育委員会 文化財課 文化財係


〒975-0062
福島県南相馬市原町区本陣前1-70(文化財整理室)


電話:0244-24-5284
ファクス:0244-24-1288
お問い合わせメールフォーム

このページに関するアンケート

より良いウェブサイトにするために、このページのご感想をお聞かせください。

このページの内容は分かりやすかったですか



分かりにくかった理由は何ですか(複数回答可)



このページは探しやすかったですか



探しにくかった理由は何ですか(複数回答可)