土偶ー女神の盛衰 (令和6年11月15日)

更新日:2024年11月25日

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馬、甲冑姿の男の子、モミジ、土器、キンモクセイなどのイラストが並ぶ帯状の画像

 今日では、土偶は縄文時代のアイドル的存在ともいえるでしょう。他県には「縄文のビーナス」(写真1)や「縄文の女神」(写真2)と呼ばれている縄文時代中期(およそ5000年前)の国宝土偶もあります。縄文時代晩期(およそ3000年前)の土偶で有名なのが遮光器土偶(写真3)。この影響を強く受けたと考えられる小高区浦尻貝塚から出土した土偶(写真4)は「うらこちゃん」の愛称で親しまれています。

写真1 長野県棚畑遺跡「縄文のビーナス」

写真1 国宝「土偶」(縄文のビーナス)長野県棚畑遺跡出土

長野県茅野市所蔵 写真提供:茅野市尖石縄文考古館

写真2 山形県西ノ前遺跡「縄文の女神」

写真2 国宝「土偶」(縄文の女神)山形県西ノ前遺跡出土

山形県立博物館所蔵 画像提供:福島県立博物館

写真3 青森県亀ヶ岡遺跡「遮光器土偶」

写真3 青森県亀ヶ岡遺跡出土遮光器土偶

東京国立博物館所蔵 出典:ColBase(https://colbase.nich.go.jp/

写真4 小高区浦尻貝塚「うらこちゃん」

写真4 土偶「うらこちゃん」 小高区浦尻貝塚出土

南相馬市教育委員会所蔵

 小高区荻原遺跡から出土した2体の土偶は縄文時代早期(およそ7000年前)のもので県内最古とされています。2体とも乳房の表現があり、女性であることが強調されています。1体(写真5)は板状ですが、もう1体(写真6)はお腹が少し膨らんでいて、お尻はとても可愛らしく表現されています。

写真5 小高区荻原遺跡 県内最古の土偶①

写真5 県内最古の土偶① 小高区荻原遺跡出土

福島県教育委員会所蔵

写真6 小高区荻原遺跡 県内最古の土偶②

写真6 県内最古の土偶② 小高区荻原遺跡出土

福島県教育委員会所蔵

写真7 小高区大富出土 男根形土偶

写真7 男根形土偶 小高区大富出土

南相馬市博物館所蔵

 土偶は粘土を用いて妊娠した女性の特徴を表現して形作り、焼きあげたものです。これから生命を産み出すという不可思議な力を宿しているのでしょう。貝塚や土器捨て場など、生命を失ったモノの捨て場(集積場)から多く見つかることから、それは人間にとどまらず、人間が奪ったすべての生命(食料)の再生を願うマツリに象徴的に用いられたものと考えられます。土偶は、生命を産み出す女性でなければならなかったのです。まさに縄文の女神です。

 ところが、小高区大富からは不思議な土偶が出土しています(写真7)。故竹島(たけしま)国基(くにもと)氏が収集した「竹島コレクション」の中にあり、「大富」と記されているだけで具体的な出土遺跡名は不明です。土製品で、目、鼻、口、乳房の表現があることから土偶と考えられるのですが、全体の形状はなんと男根形をしているのです。下部には短い両脚がはがれたような痕跡がありますが、あるいは睾丸の表現だったのかもしれません。土偶=女神が否定されかねません。たまたま形が棒状だっただけかもしれませんが、調べてみると同じような土偶が他の遺跡でも出土していることがわかりました。

写真8 本宮市高木遺跡出土 男根形土偶

写真8 男根形土偶 本宮市高木遺跡出土

福島県教育委員会所蔵 画像提供:福島県立博物館

図1高木遺跡出土 男根形土偶の文様

図1 高木遺跡出土男根形土偶の文様

福島県文化財調査報告書第402集『高木・北ノ脇遺跡 阿武隈川右岸築堤遺跡発掘調査報告3』福島県教育委員会(2003)より引用

写真9 飯舘村上ノ台A遺跡出土獣面把手付土器

写真9 獣面把手付土器 飯舘村上ノ台A遺跡出土

福島県教育委員会所蔵 画像提供:福島県立博物館

 本宮市高木遺跡は縄文時代中期の末頃、複式炉が住居の中に特徴的に設置される時期、いわゆる複式炉文化期(4400年前)の集落跡です。この遺跡から出土した土偶(写真8・図1)も形は男根状で、目、鼻、乳房の表現があり、口の部分は長方形の線描きになっています。下部にはやはり両脚がはがれた痕跡があります。興味深いことに、口の部分を含めて表側に線刻の文様があり、口を頭に見立てると両腕を広げて左に弓、右に矢のようなものを持った人体の姿(人体文)にも見えるのです。さらに背面にも線刻文様があり、これも両手両足を広げて両脇に何かをぶら下げた人体文と見ることができます。このような文様はほかの遺跡の土器にも見られ、「狩猟文」と呼ばれています。

 縄文時代において弓矢を持って狩りをするのは男の仕事です。つまり土偶=女神と、狩猟=男神がひとつの土製品に同居しているという摩訶不思議な遺物なのです。大富の土偶にも不鮮明ながら何かを線で描いた痕跡が見られ、とても似ている資料といえるでしょう。

 縄文時代中期の中頃まで、竪穴住居の中にいわゆる複式炉が出現する前の段階までは、土器は女性のお腹であり、土偶は女性、粘土( 土 )そのものも女性、住居の中の炉も床土の上で火を焚くことから女性の領域ととらえられていたようです。一方で狩猟という行為や矢の先に装着する石鏃などの石器、固い石は男性の領域という考え方があったようです。さらにいえば、土器を見守る精霊の頭部は土偶と共通する女性的特徴を備えていますが(本Web「土器につけられた顔」参照)、具体的に人面が表現される以前はイノシシの顔が表現されています(写真9)。イノシシは多産であることから女性の領域の動物であったと考えられます。一方、シカは漁労具など男性が用いる道具の素材としてシカの角を利用することから、男性の領域に入る動物であった可能性が高いといえます。縄文時代を通して、イノシシの土製品は多く作られているのにシカの土製品がまったく無いのはこの証左となるでしょう。

写真10 原町区高字八竜採集 石棒

写真10 石棒 原町区高字八竜採集

南相馬市博物館所蔵

写真11 原町区東町遺跡出土注口土器

写真11 注口土器 原町区東町遺跡出土

南相馬市教育委員会所蔵

 さて、土器、土偶、イノシシという女性領域、いわば女神信仰に、なぜある時期から男性要素(男神信仰)が紛れ込んでくるのか、その理由はわかりません。しかし、発掘された遺物に現れたこの事実は、縄文時代を通してその精神文化が一様だったわけではなく、信仰あるいは神観念、祭祀形態に、ある時期変容があったという点を指摘できる重要な意味を持つのかもしれません。

写真12 原町区東町遺跡から検出された複式炉をもつ竪穴住居跡(24号住居跡:直径約6メートル)

写真12 複式炉をもつ竪穴住居跡 原町区東町遺跡(24号住居跡:直径約6メートル)

南相馬市埋蔵文化財調査報告書第36集『東町遺跡(2次調査)』南相馬市教育委員会(2021)より引用

 複式炉(写真12)という石組部と土器埋設部で構成される特殊な炉は、それまでの土の床にじかに設けた炉(地床炉(じしょうろ))や土器を埋め込んだ炉(埋甕炉(まいようろ))、土器片を敷きつめた炉(土器敷き炉)という女性領域の炉に、石を組み込んだり石で装飾するという男性領域を侵出させたとみることもできます。これが変容のひとつの契機になった可能性もあります。

 より男性的側面が強調される遺物である、男根形石製品=石棒(写真10)が多く作られはじめるのもこの複式炉文化期です。石棒は女性領域である土=大地に挿されたままの状態で出土することもあります。

注口土器(写真11)もまたこの複式炉文化期に現れます。注口部を男根に見立てることで、土器という女性領域に男性要素を侵出させたとみることもできるでしょう。注口土器は何らかの液体を注ぐものです。土器、土偶=女神に特殊な液体を注ぐことでよって女神の力がより活性化したのかもしれません。

 このように複式炉文化期は、女神信仰一辺倒であった縄文人の観念に、男神要素もしくは男神が侵出してくる画期ととらえることができます。大富出土土偶や高木遺跡出土土偶はこの現象のひとつの表れと位置づけることができるでしょう。

(森 幸彦)

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福島県南相馬市原町区牛来字出口194

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