伊達成実がやってきた!(平成30年7月1日)


黒漆五枚胴具足 伊達成実所用
北海道・伊達市教育委員会蔵
近年は、ドラマ・小説・漫画・ゲームなどで、年代を問わず戦国武将が大人気ですね。そんな中、北海道伊達市から今年で生誕450年の戦国武将・伊達成実(しげざね・1568~1646)がやってきました!もちろん、ご本人がやってきたわけではありません。現在開催中の特別展「伊達成実 南相馬に来たる ―北の大地に共存する相馬と伊達―」(平成30年6月30日~8月19日)で、成実が着用した甲冑がやってきたのです。
伊達成実は初代仙台藩主・伊達政宗の従弟にあたり、武勇に秀で政宗の片腕として活躍した、コアなファンの方も多い武将です。かつての大ヒットドラマ「独眼竜政宗」(1987)では、三浦友和さんが成実を演じたことでも知られています。
成実は、江戸時代になると仙台藩内の亘理要害(宮城県亘理郡亘理町)の主となって周辺の領地を治め、亘理伊達氏の初代となりました。それ以降、亘理伊達氏と当地方の領主・相馬氏は領地を接する間柄となりました。
伊達成実の甲冑がなぜ南相馬に?

傷んでいた威糸(左)を直したり(右)、欠けていたパーツを新調するなど、甲冑全体が補修されました。
なぜ南相馬に成実の甲冑が来たのか?そもそものきっかけは、平成24年(2012)北海道伊達市から当地方の伝統行事・野馬追を描いた『奥州相馬氏野馬追図屏風』が新発見されたことでした。これは、江戸時代に亘理伊達家中で描かれた野馬追屏風で、明治維新後、亘理伊達氏の武士と領民たちが北海道に移住・開拓し、現在の伊達市の礎を築いたとき一緒に北海道に渡ったものでした。その屏風は、平成26年(2014)伊達市のご厚意によって当館で本邦初公開されました。
そのことをきっかけとして、経年で損傷していた伊達成実の甲冑(伊達市教育委員会蔵)の補修を南相馬の甲冑師が手掛けるなどの交流が生まれ、今回、その甲冑を当館でお披露目することになったわけです。
相馬と伊達が“共存”する伊達市

相馬神社 伊達市大町・末永町 2018年2月撮影
相馬と伊達といえば、宿敵・ライバルと称されて、相容れないようなイメージがありますが、伊達市には相馬と伊達が“共存”しているところがあります。
なんとライバル同士の名字を冠した「伊達神社」と「相馬神社」があるのです。伊達神社は伊達市開拓に尽力した伊達邦成(くにしげ・1841~1904)らを祀る神社で、相馬神社は開拓に欠かせない馬の守護神として、大正時代に当地方の太田神社(南相馬市原町区)が分霊された神社です。
両社は伊達市の市街地にあって、互いに車で約5分かからない距離しか離れておらず、秋の例大祭(伊達神社9月、相馬神社10月)は近隣の人々でにぎわうお祭りとして知られ、両社とも市民に親しまれています。
相馬地方の私たちから見れば、戦国時代にバチバチやりあった相馬と伊達が、このように違和感なく共存している光景は、ひょっとしたらカルチャーショックに近い感覚かもしれません。しかし、この光景は伊達市の皆さんからすれば当たり前のこと。そこにはかつての相馬と伊達の争いなどはありません。

伊達神社 伊達市大町・末永町 2018年2月撮影
相馬と伊達の新たな交流に
今回の「伊達成実 南相馬に来たる」展は、7月末の相馬野馬追の時期を中心に開催されています。相馬地方が誇る野馬追の時期、野馬追の里に、伊達家の武将がやってくるのは、ある意味、相馬地方の歴史上初めてのことかもしれません。この展示会が、相馬と伊達の新たな交流のきっかけになってほしいと思います。
展示会では伊達成実の甲冑のみならず、亘理伊達氏伝来の太刀「宇佐美長光」、「奥州相馬氏野馬追図屏風」なども紹介しているので、成実ファンも野馬追ファンもお楽しみいただけると思います。ぜひ博物館に足をお運びください。
今回の展示会に多大なるご協力を頂戴した、北海道伊達市のみなさまに心より御礼申し上げます。
(二上 文彦)

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更新日:2024年04月01日