チラシは歴史資料(令和4年4月1日)

チラシの発見
写真1は「原町ファミリーデパート・ノムラ」のセールやお買得品を知らせるチラシです。実は、このようなチラシはめったにお目にかかれません。というのも、チラシはセールが終われば捨てられてしまうからです。
博物館ではさまざまな分野の資料を収集し、日々それらを整理しています。このチラシはそれらを整理するなかで、偶然見つかりました。

写真1 「原町ファミリーデパート・ノムラ」のチラシ(当館所蔵)
ほとんどが捨てられてしまうチラシが、このようなきれいな状態で見つかることはまれです。チラシからは店名や住所のほか、取扱商品や値段など当時の日常生活の一端を知ることができ、そして「11月20日[火]」の日付から昭和54年(1979)か59年(1984)、平成2年(1990)のいずれかのものと推測することができます。
このチラシを見たときに、みなさんはどのようなことを思い出すでしょうか? 店内に流れていた音楽、屋上で開催していた移動動物園やヒーローショーなど、さまざまな思い出があると思います。
今回の「ちょこっと☆みゅーじあむ」では、このチラシの発見をきっかけに、相双地域では初のデパート形式の大型店「原町ファミリーデパート・ノムラ」について紹介します。
相双地域初のデパート、オープン
昭和54年(1979)3月30日、相双地域では初のデパート「原町ファミリーデパート・ノムラ」が大町(原町区)にオープンしました。現在の「おおまちマルシェ」の辺りにあったこのデパートは、地上4階、地下1階、売り場面積5980平方メートルの規模を誇り、直営のスーパーマーケットのほか、テナントとして食料品や衣料品、家電などを扱う各種専門店が20店舗入りました。
オープン初日は雨模様にもかかわらず約4万人もの買い物客が詰めかけて大賑わいだったことが当時の新聞に報じられています。
この原町ファミリーデパート・ノムラは、もともとは南町にあった衣料品と食料品を取り扱っていたスーパーのノムラが大町に新店舗を建設して開店したものです。
写真2は、昭和54年ころの原町市(南相馬市原町区)の中心市街地を写したものです。写真奥には旧磐城無線電信局原町送信所の主塔、いわゆる原町無線塔がそびえ立ち、写真中央には原ノ町駅とそこから西に向かってのびる駅前通りを見ることができます。そして、写真手前に見える大きな建物が原町ファミリーデパート・ノムラです。

写真2 昭和54年ころの原町の中心市街地(当館所蔵)
オープンの影響
さて、オープンに先立つ昭和52年(1977)、ノムラの建設計画が発表されると、原町市内には賛否両論がうずまきました。消費者にとってはデパートの出店は大歓迎ですが、地元商店街にとっては自分たちの店舗から客足が遠のいてしまう不安があり死活問題でした。
ノムラの建設計画に対して原町市商業活動調整協議会(注)は、店舗面積や開店時期、閉店時間、休業日数について十数度にわたる事前調整を行いましたが、出店に賛成の消費者代表と反対の小売業者代表との間で意見の調整がつかず、その調整は難航しました。
(注)原町市商業活動調整協議会は、小売業、消費者、学識経験者、大型小売業、原町商工会議所の各代表委員で構成され、新店舗出店に対する地元の意見を調整する。
調整の結果、売り場面積については3分の1を削減し、開店日は地元商店街への影響を考慮して当初計画より4か月ほど遅らせることになりました。
ノムラの出店は地元商店街のほか、原町市内の大型店にも大きな影響を与え、スーパー「勝見屋」や「藤越」は売り場面積を増床する計画を発表しました。また、郡山市のスーパー「ヨークベニマル」は原町市内では初となる店舗を建設する計画を発表しています。当時の人口が約4万5千人余りだった原町市はノムラのオープンをきっかけに「大型店時代」へと突入したということができます。
店名の変遷と閉店

写真3 『広報はらまち』お知らせ版No.465 平成元年11月5日号(当館所蔵)
その後、原町ファミリーデパート・ノムラはサンホーユー原町店、ニチイ原町店と店名を変え、平成8年(1996)9月27日に福島県内では3番目にオープンしたサティ「原町サティ」として生まれ変わりました。しかし、店名は変わっても地域住民のあいだでは「ノムラ」という名称で通用していたようです。
それは、サンホーユー原町店となったころの『広報はらまち』の誌面に「サンホーユー原町店(旧ノムラ)」と記されていることにも表われています(写真3)。相双地域初のデパートとしてオープンした印象がとても強く、また地域住民にも親しまれていた名称だったといえるでしょう。
原町ファミリーデパート・ノムラのオープンから23年あまり、買い物だけでなく地域住民の交流の場としても利用されていた「ノムラ」は、平成14年(2002)5月30日に惜しまれつつ閉店しました。
当時の商店街にはどのような店舗が並び、どのような賑わいをみせていたのでしょうか? そして、街並みはどのように移り変わっていったのでしょうか? 「ノムラ」のチラシを見ているとそんなことを考えてしまいます。
捨てられてしまいがちなチラシは、私たちのまちを知るきっかけとなります。まさに「チラシは歴史資料」ということができます。
(森 晃洋)

関連ページ
- この記事に関するお問い合わせ先
- このページに関するアンケート
-
より良いウェブサイトにするために、このページのご感想をお聞かせください。
更新日:2024年04月01日