小正月行事(令和3年2月1日)

博物館の常設展示室内「ミニテーマコーナー」では、小正月行事を展示中です。
[2021年1月9日~3月31日(予定)]
小正月行事
正月は年中行事の中でも盆と並ぶ大事な行事です。1月1日を中心とする大正月は年神を迎える大事な時期で、1月15日を中心とする小正月は予め豊作や幸福を祝うなどの行事が集中しています。15日は太陰暦で満月にあたり、望の正月とも呼びます。
小正月行事には「小正月の訪問者」「水祝い(水祝儀)」「火祭り行事」「墨塗り」「鳥獣害を防ぐ呪術」「農作物の予祝儀礼」「卜占儀礼」などがあります。
しかし、現代では小正月行事は農村部ではまだ残っているところもありますが、都市部ではほとんど見られなくなっています。
小正月の訪問者 カセドリ

カセドリ(再現) 1994年 原町区馬場
大晦日の晩の訪問者では「男鹿のナマハゲ」(秋田県)が有名ですが、相馬地方など他の東北地方では「カセドリ」といって、小正月の晩に子供が顔を隠して唱え事や鶏の鳴きまねをしながら物をもらい歩く風習がありました。カセドリは神の使いの雌雄のつがいのニワトリという説もあります。
全国では「男鹿のナマハゲ」・「見島のカセドリ」(佐賀県)など、「来訪神:仮面・仮装の神々」の行事10件がユネスコ無形文化遺産に登録されています。
こうした訪問者は異界から定期的に訪れる来訪神で、祖霊や年神と考えられ、人々は豊作や幸福を予め祝い、来訪神をもてなす行事です。
水祝い[水祝儀(みずしゅうぎ)]
全国的には嫁入り道中の嫁や初婿入りの婿、年頭行事に参加した新婚夫婦に若者集団が水を掛ける風習です。手荒いようですが、福島県・宮城県では水祝儀と呼ばれる年頭行事で、厄年祝いの一環として行われることもあります。 水祝い(水祝儀)は新嫁・新婿の承認儀礼・通過儀礼の意味と、水の持つ流し清めるという呪術性から厄祓いや罪穢れを払う意味もあるようです。
鹿島御子神社(かしまみこじんじゃ)の「火伏の神事(ひぶせのしんじ)」

火伏 家々に水をかけて回る
鹿島区鹿島 2017年1月14日
鹿島区の鹿島御子神社では毎年小正月に、「火伏の神事」と「天燈籠の神事」という一連の神事が行われます。
社伝によると、天足分命が奥州平定のため下向の際、大六天魔王を頭とする国を乱す賊徒が命の仮宮に放火したが、鹿島の神の使いである鹿が多数現れ、川から濡れた笹をくわえて来て水を掛けて火を鎮め、命の御神徳により賊徒を平定したという故事にちなみます。
また、江戸時代から昭和時代まで鹿島の街並みはたびたび大火に遭ったため、火防の意味を込めて火伏せの神事が行われてきたともいわれます。
火を伏せる一方、境内で正月飾りを焼いたり、火伏せ行列の途中数カ所で大きな焚火をします。 鹿島御子神社の「火伏の神事」は「火祭行事」の特色もあわせ持っているようです。
鹿島御子神社の「天燈籠(てんとうろう)の神事」

天燈籠 水をかけられる神職
鹿島区鹿島 2021年1月10日
「天燈籠の神事」は「火伏せの神事」の翌日、1月15日の夜が明けるころに行われます。
社前で大蛇神楽が神職の悪魔祓いをした後、「天燈籠」と書かれた燈籠を竹竿の先に吊るし、神職らの一行が神社から200m程離れた「旧社地」に行きます。沿道の軒先には天燈籠が立てられ、昔は鳥追いの歌を唱和したそうです。旧社地での一連の神事の後、再び現在の神社に戻ります。途中、氏子らが神職に向かって「ご祝儀、ご祝儀」という掛け声とともに、家の前に置いた桶の水を浴びせかけてお祝いします。この時、衣冠の氷結が多ければ豊作の年になるといいます。
「天燈籠の神事」は小正月の「水祝い」(水祝儀)、「鳥獣害を防ぐ呪術」、豊作を占う「卜占儀礼」の特色を持った行事です。
墨塗り
「墨塗り」は小正月や婚礼などに、墨や鍋墨を手や大根判につけて婿や新夫婦などの顔に塗りつける風習です。鹿島御子神社の「火伏の神事」では、昭和40年頃まで、参加者や世話人が神社の神紋「三つ石畳」を彫った大根判で墨塗りする風習がありました。いわき市豊間では、小正月に若者組の役員が交代する際、「墨祝い」といって大根に墨をつけて若者頭や新役員の顔に墨塗りをしました。墨を塗られることを名誉に感じたそうです。
現代では赤ちゃんの宮参りの際に「あやつこ」といって額に鍋墨で「×」「大」「犬」などの印をつける風習があります。昔は赤ちゃんの初外出に行われ、魔除けとか丈夫に育つといわれました。
こうしたことから、「墨塗り」は化粧と同じように魔除け、秩序や人格の更新、再生という意味があるようです。
江戸の旗本相馬家の墨塗り
江戸時代の紀行文『遊歴雑記』(十方庵大浄敬順著)には「四谷大木戸片町北側相馬左近屋敷」(現、新宿区四谷)の「相馬家嘉例の墨塗り」という行事が紹介されています。相馬氏は下総国相馬郡の本領に残り江戸時代に旗本となった下総相馬氏と、奥州行方郡(現在の南相馬市)に下向した相馬重胤の後裔で江戸時代に中村藩主となった奥州相馬氏があります。相馬左近とは旗本相馬繋胤[? - 文政2年(1819)]、通称小源太、左近でした。
相馬左近家は平将門の正流であるといい、毎年正月15日は嘉例として通りがかりの者を呼び入れて無理に酒を飲ませ、もう飲めないというと額に大根判で墨を付けて門外へ突き出す。屋敷内の笑い声を聞いて何事かと覗くと捕らえられ、額に墨を塗られてしまうと紹介しています。
これは全国的に見られた小正月行事「墨塗り」の一種と考えられます。
浮世絵「墨戦之図(ぼくせんのず)」

墨戦之図 一勇斎(歌川)国芳 3枚続 天保14年(1843) 当館蔵
大勢の人が二手に分かれ、墨を掛け合ったり、擦りつけ合う様子が描かれています。遊び心のある浮世絵で人気の鬼才歌川国芳の作品です。登場人物の多くは公家ですが、僧や稚児もいます。
この画の解釈として、幕府の政策や役人への風刺、揶揄の意味が込められているという見方があります。つまり、①武士が弱体化して公家や僧侶が意のままに事を起こしていることへの批判。②天保の改革を断行した老中水野忠邦らを指した皮肉という見方です。
一方、小正月の年中行事としてみると「相馬家嘉例の墨塗り」を連想させ、小正月の風習をオーバーに面白おかしく描いているようでもあります。
団子刺し[稲穂(いなぼ)]

団子刺し(稲穂)
団子刺しは小正月に座敷などに飾る縁起ものです。相馬地方では稲穂などと呼ばれ、地方によって粟穂・稗穂・繭玉・綿団子・餅花などと呼ばれています。
餅を丸めて団子形や繭形に作り、ミズキなどの木の枝に刺して、穀物の穂や繭・綿などの商品作物がたくさん取れたように表します。
商品化されたものでは、恵比寿・大黒・鯛などをかたどった中空の最中や絵を飾り付けたものもあります。
団子刺し(稲穂)は小正月に事前に祝って豊作を祈願する「農作物の予祝儀礼」です。
(二本松 文雄)

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更新日:2024年04月01日