人の一生と儀礼(七五三・取子・厄年)(令和4年12月1日)

人は生れてから死ぬまで、さまざまな節目があります。人生儀礼は人生の節目を多くの人たちに祝ってもらうことで、それまで無事に育ち、生きてきたことを祖先や地域の人たちに感謝し、節目を無事通過できるように祈るものです。

七五三
昭和48年(1973) 南相馬市鹿島区
無事な成長を祝い、親子で記念撮影後、鹿島御子神社に参拝した。
写真提供:海老原由香氏
子どもの人生儀礼のひとつである「七五三」が一般家庭に広まったのは、戦後の豊かな時代になってからのことです。男児は五歳、女児は三歳と七歳の節目に神社に参拝して、神の守護を祈ります。これには、氏子の仲間入りをすることで、神からも地域社会からも子どもの人格が認められるという意味合いがありましたが、現代では地域社会との関係よりも、家族の儀礼に代わってきています。

取子宮祈祷殿の案内書
昭和8年(1933) 南相馬市原町区
太田神社(現、相馬太田神社)が発行。取子大祭は3年に1回、例年4月22日に行われていた。
南相馬市博物館蔵
また、「取子」といって、子どもが神主や住職と「取り上げ親」のような親子関係を結ぶ、生育儀礼もありました。儀礼的・呪術的に彼らの子とすることで、子どもが無事に成長することを願いました。昭和初期の太田神社には取子宮祈祷殿があり、取子の慣習が福島県相双地方に根付いていたことがわかります。
大人の人生儀礼のひとつである「厄年」は、人の命や生活を脅かす災難が降りかかることが多いとされる特定の年齢のことで、数え年で男性の四十二歳、女性の三十三歳は大厄とされています。
厄年にはさまざまな厄除けや厄払い、厄落としの呪術や方法で厄を避けようとしてきました。

厄流し
平成2年(1990) 浪江町
厄流しには職場の人や友人・知人などを宴会場に招待し、「お護摩」などと呼ばれる大きなお札がいくつも贈られた。この写真は浪江町で行われた小高の方の厄払い。
写真提供:二本松隆雄氏

厄流しの船
平成18年(2006) 南相馬市鹿島区
烏崎海岸に流された厄流しの船。船の中には厄祓いの人形と赤い布が入っていた。
南相馬市博物館蔵
福島県相双地方では、男性の「厄流し」は特に盛大で、「お護摩」などと呼ばれる神社や寺院の大きなお札や、赤い胴巻き、シャツ、タオルなどが親類・知人から贈られます。その家では、彼らを招いて宴を催したり、人形という紙人形に厄を付けて模型船に入れ、川や海に流すこともありました。
博物館のミニテーマコーナーでは、令和4年(2022)12月28日(水曜日)まで「人生儀礼と成長儀礼」を展示中です。
(二本松 文雄)

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更新日:2024年04月01日