丑年と牛(令和3年1月1日)

今回は丑年にちなんで、牛にまつわる神仏の話を紹介します。
牛頭天王(ごずてんのう)と八坂神社

牛頭天王の祠とお供えのキュウリ
(原町区江井 牛頭天王)
これについては「疫病除けのお呪い―新型コロナウイルス 村から出ていけ!―」の回で紹介しているので、簡単にふれます。
日本では古代から天然痘(疱瘡)やはしかが流行し、平安時代にはこれを疫病神の祟りと考え、京都祇園の牛頭天王(現在の八坂神社)では祇園御霊会が盛んになりました。牛頭天王は疫病除けの霊威で朝廷から庶民まで広く崇敬され、地方にも広まりました。山鉾巡行で有名な祇園祭はこの祭礼にさかのぼります。
その後、全国の牛頭天王や八坂神社では、疫病除けの夏越の祓いに茅の輪くぐりをしたり、キュウリを供える風習が生まれました。
江戸時代後期から明治時代にはコレラが流行し、江戸時代末には、江戸で多数の死者が出ています。昔の人たちはこうして神仏に疫病退散を祈ってきました。
虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)と牛
虚空蔵菩薩は虚空蔵尊とも呼ばれ、虚空のように無限に知恵を蔵するという菩薩です。子供が13歳の時に虚空蔵菩薩に参拝すれば、知恵を授かるとことができるといわれ、会津円蔵寺(柳津虚空蔵尊)などは「十三参り」の寺として知られています。
円蔵寺の伝説では、1611年の会津地方を襲った大地震で大きな被害を受けた本堂を再建した際、只見川に流して運ばれた大量の材木を運ぶのに難儀していると、牛の群れが現れて材木の運搬を手伝ってくれたが、重労働で多くの牛が倒れる中、最後まで働いたのが赤い牛だったといわれています。そのことから、会津地方の郷土玩具赤べこ(赤い張子の牛)が生まれたそうです。また、赤は魔避けの効果があり、斑点は痕痘(天然痘の傷跡、あばた)を表し、会津地方に天然痘が流行した時に赤べこの張り子を持っていた子供は病気にかからなかったといわれています。

会津の郷土玩具 赤べこ

虚空蔵堂前の牛の像
(鹿島区北海老 宝蔵寺)
地獄の鬼、牛頭馬頭(ごずめず)

地獄絵図の牛頭(左)と馬頭(右手前)
(小高区仲町 金性寺蔵)
仏の使いとされる牛や馬頭観音がいる一方、牛の頭をした牛頭、馬の頭をした馬頭という怖い鬼もいます。
仏教特に浄土教では、人は死後に閻魔大王たちの裁きを受け、生前の行いによって天界(極楽)や地獄界に生まれ変わると考えられてきました。牛頭馬頭は地獄の鬼(獄卒)で、地獄の門番ともいわれています。
牛玉宝印[ごおうほういん](牛王宝印)

熊野那智大社の牛玉宝印
牛玉宝印は印の一種ですが、多くは霊験あらたかな印を捺した神札(護符)をいいます。牛玉札は全国の多くの古社寺から発行されていて、招福除災の護符とされました。特に那智・熊野の牛玉札は烏の飾り文字で知られています。また、鎌倉時代後期以降、誓約を神仏に強く誓うため、祈請文にも用いられてきました。
(二本松 文雄)

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更新日:2024年04月01日